もはや「放牧」ではない

2021年04月15日(木) 12:00

 先週月曜日発売の「週刊ギャロップ」から、コビさんこと小桧山悟調教師の新連載「私の馬研究ノート」が始まっている。

 同時に、東京競馬場場長などをつとめた増田知之さんの新連載「ゴールポストの追憶」もスタートした。 

 コビさんの連載では、「大尾形」と呼ばれた尾形藤吉元調教師(1892-1981)の著書『調教の秘密』に記されている調教技術について、次回から、解説付きで紹介していくという。

 面白い試みだと思う。尾形元調教師は、JRAが創設された1954年以降だけでも、歴代最多の1670勝を挙げている。ダービー8勝を含め八大競走を39勝しているのだが、この数字には、JRA創設前の国営競馬時代、さらに前の日本競馬会時代、倶楽部時代の勝ち鞍も含まれている。何しろ、JRA創設前に1000勝以上も挙げているのだ。

 尾形元調教師の全盛期は、競馬場内の厩舎のほか、近隣の外厩にも管理馬を置いていた。牡馬用と牝馬用に分けられ、100頭以上の管理馬がいたときもあったという。当時は、若駒の育成は競馬場で行われるのが普通だった。

 それが時代とともに変わり、育成は、牧場の仕事になっていく。21世紀になると牧場の役割はさらに大きくなり、レースの合間の調整もこなすようになった。育成と中間の調整が、「外厩」と呼ばれる施設で行われるようになったのである。シーザリオが中間を過ごしたグリーンウッドトレーニング、アーモンドアイの活躍で脚光を浴びるようになったノーザンファーム天栄、コントレイルの放牧先である大山ヒルズなどが知られている。

 尾形元調教師の府中の外厩には、軽い運動ができる程度の馬場しかなかったので、東京競馬場まで一般道を通って移動し、競馬場のコースで調教していた。であるから、言葉は同じ「外厩」でも、現在の外厩とはシステムは異なっていた。

 それでも、主催者から借りた厩舎ではなく、個人の所有地で、現役競走馬の中間の調整が行われる、という点では共通している。

 牧場の業務の範疇がひろがるということはすなわち、調教師の業務の範疇が狭まることでもある。そうして業務の分担が移行するのと歩調を合わせるように景気が後退し、バブル以前より馬をポンと買えるお金持ちが少なくなっていく。私が競馬を始めた1980年代は、馬のローテーションや鞍上は調教師が決める、というのが当たり前だった。馬主が馬を買っても預ける厩舎がなく「先生、お願いします」と頭を下げて回った、なんていう話をよく聞いた。「金は出しても口は出さない」というのが、いい馬主と言われていた。

 ところが、バブル崩壊後の長引く景気後退とともに調教師と馬主との力関係が逆転し、今や、自身の一存で馬のローテーションを決められる調教師はいなくなったのではないか。

 ノーザンファームで生産され、関係の深いサンデーレーシングやキャロットクラブが所有する馬が、ノーザンファーム天栄やノーザンファームしがらきなど、優れた施設とマンパワーを持つ外厩で仕上げられ、レースの10日前までにトレセンに戻り、レースで結果を出す――というサイクルは、もはやおなじみになっている。

 かつて米国アーリントン国際競馬場(当時の名称)などに厩舎を構え、1990年代にしばしば武豊騎手を起用したノエル・ヒッキー氏は、フロリダに牧場を経営し、管理馬のほとんどを自身で所有する「オーナー・ブリーダー・トレーナー」であった。

 ノーザンファーム出身の調教師が何人もいる今、吉田勝己氏も「オーナー・ブリーダー・トレーナー」に近づきつつあると言えるのではないか。しかも、ヒッキー氏より遥かに大きな規模で。

 もともと、ヨーロッパで発展して明治時代に日本に入ってきた近代競馬は、金持ちが自身の所有馬に自ら乗り、ライバルと優劣を競う、というものだった。

 それが次第に、腕の立つ乗り手に騎乗を依頼し、馬の扱いの上手い者に仕上げを任せていくうちに、現在の形になった。

 今でもヨーロッパでは、オーナー・ブリーダーが厩舎を所有し、そこで調教師に所有馬を管理させる例がある。

 日本でも、時代が進むにつれ、自然と昔の形に戻っている部分もあり、外厩の重要性が増したのも、そのひとつと言えるだろう。

 と、いろいろ書いたが、実は、今ようやく前置きが終わったところだ。

 今回は、「放牧」という言葉が、時代とともに実体にそぐわなくなってきており、何か別の表現はないか――ということについて書くつもりだった。

 おじさんの話が長くなることには主な原因が3つある。前置きが長いこと、脱線すること、同じ話を繰り返すこと、である。

 話を本題に戻すと、レース後、「放牧に出された」と記されていても、別に放牧地で青草を食べたり、ゴロンと横になったりしているわけではない。立派な坂路や周回コース、トレッドミルなどのある外厩で、次走に備えているのだ。

 昔は調教施設のない牧場に移動させて笹針を打ち、しばらく運動もさせずにのんびりさせることもあり、だから「放牧」という言葉が定着した。

 1990年の夏、当時調教助手だったコビさんと、昨年亡くなったかなざわいっせいさんと3人で日高を旅したとき、その年のオークスを勝ったエイシンサニーが放牧地にいた。今なら「サンシャインパドック」などと呼ばれる、小さなスペースだったように記憶している。そこにかなざわさんが入って馬に近づくと、コビさんが「蹴れ、蹴れ!」と言い、かなざわさんをムッとさせていた。

 私が初めて見た「放牧中の現役競走馬」が、あのときのエイシンサニーだった。それもあって、私のなかでもしばらく「放牧」のイメージは、放牧地でのんびり休むことだった。

 外厩で中間を過ごすこと、過ごさせることが、「放牧」や「休養」でないとすれば、どう表現すべきだろう。「調整」あたりが適当なのか。あまりに普通すぎてオチがつかない感じがするので、またしばらく考えてみたい。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊競馬ブック、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。netkeiba.com初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリー『ノン・サラブレッド』。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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