2021年05月12日(水) 18:02
▲自分を信じ騎乗スタイルを変えた蛯名正義騎手(当時) (撮影:福井麻衣子)
大きなアクションで馬を動かす騎乗スタイル。すでにトップジョッキーの地位を確立していた蛯名正義騎手(当時)が騎乗スタイルを変えたことには、賛否両論がありました。
それでも己の意志を貫いたのは、「ちゃんと自分を信じていたから」と蛯名調教師。そんな鋼のメンタルは、今後の調教師人生でどう活きていくのか。騎手時代はあと一歩届かなった「ダービー」「凱旋門賞」への思いも語ります。
(取材・構成=不破由妃子)
佑介 さっきサウンズオブアースの菊花賞の話が出ましたけど、その少し前から、蛯名さん、乗り方を変えたじゃないですか。あれはなにかきっかけがあったんですか?
蛯名 いや、馬をもっと動かしたいと思っただけだよ。あの時期は、どうやったらもっと動かせるんだろうって自分なりにすごく考えた。
佑介 その一心でガラッと変えたんですか?
蛯名 うん。周りからは「なんでそんなに変えるんだ」ってすごく言われたし、マスコミには酷い書かれようだったけど、別にわからない人はわからないままでいいと思っていたから。俺としては、ただ勝ちたいだけだったからね。外野の声は、いろいろ聞こえてきたけどさ。
──確かに、賛否両論ありましたよね。
蛯名 それ自体はいいと思うよ。考え方や目指すところは人それぞれだから。
佑介 トップジョッキーの蛯名さんが、あそこまで変えたこと自体がすごいことですよ。
蛯名 そういうふうに見てくれた人もいたし、「なんで自分のスタイルを崩すんだよ」っていう人もなかにはいたし。結局、そこだと思うんだよね。ジョッキーを長くやっていれば、乗り方だけじゃなくて、いろんなことがあるじゃない。そういうときに、自分をちゃんと信じられるかどうか。
これからもそうだけど、自分を信じられずに人に流されるようになったら、俺は終わりだと思っているから。そうならないためには、自分がどれだけやってきたかがものすごく大事になってくると思う。俺は、ちゃんと自分を信じていたから、何を言われようが「どうぞ、お好きに」っていう感じだったけどね。
▲「自分がどれだけやってきたかがものすごく大事になってくる」 (撮影:福井麻衣子)
──メンタルもそうですが、あそこまで変えるのは技術的にも大変ではなかったですか?・・・
続きはプレミアムサービス登録でご覧になれます。
登録済みの方はこちらからログイン
バックナンバーを見る
このコラムをお気に入り登録する
お気に入り登録済み
お気に入りコラム登録完了
藤岡佑介「with 佑」をお気に入り登録しました。
戻る
※コラム公開をいち早くお知らせします。※マイページ、メール、プッシュに対応。
このコラムでは、ユーザーからの質問を募集しております。あなたからコラムニストへの「ぜひ聞きたい!」という質問をお待ちしております。
JRAジョッキーの藤岡佑介がホスト役となり、騎手仲間や調教師、厩舎スタッフなど、ホースマンの本音に斬り込む対談企画。関係者からの人望も厚い藤岡佑介が、毎月ゲストの素顔や新たな一面をグイグイ引き出し、“ここでしか読めない”深い競馬トークを繰り広げます。
藤岡佑介
1986年3月17日、滋賀県生まれ。父・健一はJRAの調教師、弟・康太もJRAジョッキーという競馬一家。2004年にデビュー。同期は川田将雅、吉田隼人、津村明秀ら。同年に35勝を挙げJRA賞最多勝利新人騎手を獲得。2005年、アズマサンダースで京都牝馬Sを勝利し重賞初制覇。2013年の長期フランス遠征で、海外初勝利をマーク。2018年には、ケイアイノーテックでNHKマイルCに勝利。GI初制覇を飾った。
コラム
同期としての“武豊” 嫉妬――という気持ちは超えていた
名勝負!バブルガムフェローの天皇賞・秋
「絶対にアメリカに行こう」武豊騎手との約束
三冠牝馬のヒミツ! 蛯名正義騎手「超優等生のアパパネが、唯一我を出したとき」【競馬の究極の原点「競走馬は生き物である」】(最終回・前編)/全編無料
競輪
競輪を気軽に楽しもう!全レース出走表・競輪予想、ニュース、コラム、選手データベースなど。