中2週は短いのか

2021年06月10日(木) 12:00

 安田記念で圧倒的支持を集めたグランアレグリアが2着に敗れた。最後は凄まじい脚で追い込み、さすがと思わせたが、序盤の行きっぷりが今ひとつだったり、勝負どころで楽に上がって行けなかったりと、本来の姿ではないところも見受けられた。やはり、デビュー以来初めての「中2週」という短い間隔での実戦となったことが響いたのか。調教を加減せざるを得ず、いつも中間の調整先となっているノーザンファーム天栄への放牧を挟まなかったことも、心身のリズムに影響したのかもしれない。

 グランアレグリアが使われた、5月16日のヴィクトリアマイルから6月6日の安田記念までの間隔は、日数でいうと「中20日」である。

 ファイザー社の新型コロナワクチンも「標準的には20日の間隔を置いて2回接種すること」とされている。自治体によっては、「1回目の接種から3週間後に打つ」とか、「3週間間隔で2回の接種を行う」などとサイトに記されている。

「20日」と「3週間(21日)」の1日の差には目をつぶるとして、競馬用語で言うところの「中2週」が、ちょうどこの間隔に相当する。これは非常に誤解を生みやすい。競馬をしない人に「中2週」と言うと、「2週間間隔」、すなわち、「中13日」もしくは「中14日」と受け止められてしまうのだ。先日、ワクチンについて話していてそのことに気がついた。競馬用語で「中13日」や「中14日」は「中1週」である。日曜日に使ってから翌々週の土曜日に使う場合は「中12日」となり、これも「中1週」だ。

 まあ、ワクチンを打つ日を「1回目は何月何日、2回目は何月何日」と日付で決めてしまえば、「中何週」だとか「中何日」と表現する必要がなくなるので問題は起きないだろうが、かく言う自分も「中何週」の認識のズレに気をつけたいと思う。

 もちろん、これからも競馬について語るときは、従前どおり、「中19〜21日」を「中2週」と表現していく。

 アーモンドアイも、昨春、ヴィクトリアマイルを圧勝してから「中2週」で臨んだ安田記念で敗れている。あのときは勝ったグランアレグリアのほうがマイルでは上だったということかもしれないが、ここ数年ですっかり「中2週」の間隔は短い、ということになってしまった感がある。なお、これより先は一部を除いて「中〇週」にカギカッコをつけずに書いていく。

 かつて、ダービートライアルとして知られたNHK杯は、1953年にNHK盃として創設されたときこそダービーまで中1週だったが、その後中2週となった。1996年からNHKマイルカップがスタートするのに伴い最後のNHK杯となった1995年も中2週。1996年、NHK杯にかわる形で新設されたプリンシパルステークスもダービーまで中2週のまま現在に至っている。

 京王杯スプリングカップから安田記念も、毎日王冠や京都大賞典から天皇賞・秋も、私が競馬を始めた1980年代後半には中2週になっており、ずっとそのままである。

 このように、本番までの間隔が変わらないレースがある一方、1958年に皐月賞トライアルに指定されたスプリングステークスは、1960年までは皐月賞まで中1週、その後中2週となり、1997年からは中3週となっている。

 昔よりは間隔を空けて使われることが少しずつ多くなってきたところに、ここ10年ほどで、山元トレーニングセンター、大山ヒルズ、グリーンウッド・トレーニング、宇治田原優駿ステーブル、ノーザンファーム天栄、ノーザンファームしがらきなどの外厩の施設面やノウハウが格段に進歩し、前哨戦を使わずにGIへ直行、というローテーションが珍しくなくなった。

「トライアルから本番までの間隔」と、アーモンドアイやグランアレグリアが歩んだ、ヴィクトリアマイルから安田記念のローテーションのように「本番から本番までの間隔」とを同列に論じるべきではないのだろうが、いずれにせよ、「中2週」の受け止め方が、以前とは変わってきたように思う。

 本番から本番というと、1984年に史上初の無敗の三冠馬となったシンボリルドルフは、菊花賞から中1週となったジャパンカップで初の敗北を喫した。

 1990年の菊花賞で2着だったホワイトストーンがジャパンカップで4着になったときは中2週。1993年にウイニングチケットが菊花賞とジャパンカップでともに3着になったときも、1998年にスペシャルウィークが菊花賞で2着、ジャパンカップで3着になったときも中2週だった。

 2000年からその間隔が中4週となり、翌2001年、菊花賞で4着だったジャングルポケットがジャパンカップを制した。

 ホワイトストーンやウイニングチケットの時代の記憶を呼び起こしてみると、やはり、本番から本番の中2週は、昔から短いとみなされていた。

 私たちの感覚が変わったのは逆方向、例えば、共同通信杯から中8週で皐月賞に向かうなど、ひと昔前ならレース間隔が長く感じられた使われ方に対して「長い」と感じなくなったことだろう。それで相対的に中2週が短く感じられるようになった、ということか。

 北海道にも緊急事態宣言が出てしまい、しばらく実家に行けなかったので、固定資産税やら自動車税やら、いろいろなものの支払いが溜まっていた。それらを済ませて先日帰京した。来週、久しぶりに福島県の南相馬市に行く。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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