強い想いが可能にした38歳からの新規開業

2021年06月10日(木) 18:00

多忙な日々の唯一の息抜きが「競馬」

 おそらく日高では最も新しい生産者と言って差し支えないだろう。今年4月に新たに独立した人がいる。山下慎也さん(38歳)である。九州の佐賀県武雄市出身。実家は兼業農家で、彼がまだ幼かった頃に、祖父母が和牛生産をしており、「大動物を身近に見て育ったので、馬や牛には特別な親しみを感じておりました」とは本人の弁である。

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今年4月に独立を果たしたオーシャンズ・ランチ代表の山下慎也さん

 山下さんはいかなる経歴の持ち主か。先日、ご本人から伺ったところではおおよそ次のようなものだ。

 高校を卒業するまでは、佐賀県の実家に暮らしていた。その後、上京し、とある大手の運輸会社に就職した。そこで10年間、ドライバーとして働いた。

「都内某区が担当でした。配達用のトラックに乗って、荷物を届ける仕事です。何せ都内なので、常に、駐車禁止で切符を切られないように気を付けて運転しなければならず、それが最大の悩みでしたね。結局、10年間で駐禁の違反で切符を切られたのは、たった1度だけでした」とのこと。ドライバーとしては、かなり優秀だったと言えよう。

 仕事は結構ハードだったという。「朝早くに出社して、そのまま深夜まで連続して運転し、場合によっては帰宅するのは日付が変わってから、ということもありました。玄関で腰を下ろし、靴を脱ぎかけた状態のまま“寝落ち”してしまったこともありましたし、いったい何のために部屋を借りているのか分からないくらいでしたね」

 そんな多忙な暮らしの中で、唯一の息抜きが「競馬」だったらしい。当時は市川市に住んでおり、船橋や中山などに通うのには便利な場所であった。

「不規則な勤務シフトだったので、平日にも休みがあるんです。それで、あらかじめ予算を決めて、南関4場を中心に競馬場に通うようになりました。もちろん、中央競馬も好きでした。ゴールドシップのファンでした」

 激務だけに、給料はどんどん上がっていったという。最終的には年収が700万〜800万円というレベルまで到達していた。

「会社からは、そろそろドライバーから管理職になるようにしきりに勧められていましたが、私は、現場の仕事が好きでしたし、何より、トラックの運転席に座っていれば、基本的に一人ですから、誰かに気を遣う必要もないので、それが性に合っていたと思います」

 そんな山下さんに転機が訪れたのは、32歳の時である。

「好きだったゴールドシップを追いかけて、出走するレースを見るために、全国各地の競馬場に行きました。ゴールドシップのローテーションに合わせて休みを取り、札幌競馬場にも足を運びましたよ」

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“稀代の個性派”として多くのファンに愛されたゴールドシップ

 それは2014年8月24日のことだ。リニューアルしたこの年の札幌記念にはGI馬が4頭も勢ぞろいし、新装された札幌競馬場は立錐の余地もないくらいの大混雑になったのを覚えている。

 ゴールドシップは堂々の1番人気に支持されていた。しかし札幌記念を制したのはハープスター。ゴールドシップは4分の3馬身届かずの2着に惜敗した。あの大観衆の中に山下さんも来場していたのか、と考えると、ある種の感慨に襲われる。

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▲大観衆が見届けるなか激戦を制したのは3歳牝馬ハープスター、▼ゴールドシップは惜しくも2着に敗れた

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 競馬好きが高じて、その頃には何度となく日高にも足を運ぶようになっていた山下さん。馬券で大当たりしたのをきっかけに、その配当金を懐に入れて日高に行き、馬の仕事をしてみようと決心するに至る。32歳になっていた。

「年齢が年齢なので、大手の牧場はみんな断られました。それで、とある育成牧場にお世話になることになり、素人なので一から勉強させて頂くことになって、5年間そこで働きました。育成だけでなく、そこは生産部門もあって種牡馬も何頭か繋養しているような幅広い牧場だったので、とにかく無我夢中でした。おかげさまで一通りのことをそこで学ばせて頂きました」

 5年後にとある生産牧場に移籍し、そこで1年ほど勤めてついに独立した。

「独立と言っても私には牧場を丸ごと一軒借りるだけの資金はありませんし、まずは知り合いの方を頼って、浦河町内のとある牧場の分場の一角を“間借り”させてもらうことになったんです。家賃を払って何馬房かを借りて、そこに自分がお預かりしている繁殖牝馬や1歳を置いて放牧させて頂くという変則的な独立です。

 馬運車もトラクターも一通り揃っているので、それらを借りながら種付けに行ったり、牧場内の作業をしたりしております。“家主さん”の馬の放牧や集牧もお手伝いしています。幸い、私に個人的に馬を預けてやると仰るオーナーがいましたので、何とか独立することができました」と山下さん。

 名刺には「オーシャンズ・ランチ代表」とある。今後のことは未定だそうだが、将来的には、引退功労馬の繋養にもチャレンジしてみたいとのこと。38歳とまだ若く、当面はまず牧場としての基盤を築いて、1頭でも全国区に名前の知られるような馬を生産するのが夢だという。

 お会いしてみると、非常に爽やかな青年である。未だ独身だとはちょっと信じられないほど好印象の男性だ。

「たぶん私みたいに、密かに馬の世界に入ってみたいと考えている人が都市部には大勢いるように思います。でも、まずきっかけがないとなかなか簡単に飛び込めない世界だというイメージもありますし、外から見る限りでは、やはりある種の敷居の高さは感じますね」

 だが、バイタリティがあれば、こうして30歳を過ぎてからでも、生産者として独立することは可能だ。確かに傍目には無謀と映りかねないが、ここは好意的に「英断」と解釈してあげたい。オーシャンズ・ランチの今後にご注目頂けたら幸甚である。

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田中哲実

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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