2021年06月26日(土) 12:00
今回も引き続き、競馬場に右回りと左回りがあるのはなぜ?の話。
前回、札幌競馬場の左右の変遷について書きましたが、じゃあなぜ、明治以来の伝統だった左を右にしたのか?ってなりますよね。
その答えは、今のところわかりません(涙)。『札幌競馬場100年史』という本にも書かれていませんでした。たぶん、スタンドを増改築する際、右回りにしたほうが何かと好都合だったから、と思われます。
では次に東京競馬場。昭和58(1983)年発行の『東京競馬場50年史』には、「(左回りにした)理由と経緯については正確な資料が現在も見当たらない」と記されていました。
同書の発行から40年近く経ちますが、いまだに“それら”は見つかっていません。東京を左にしたワケもナゾのままです。
改めて、東京競馬場周辺の地図を見ていたら、競馬場の東のほうに“瀧神社”があるのを発見しました。そう、そのあたりに滝があるからこそ祀られた神社です。
府中移転の際に行われたのが、目黒周辺に点在していた厩舎の敷地内への集約でした。そこで、こんな仮説を立ててみました。
厩舎には大量の水が必要→瀧神社付近には、地形の影響から滝や湧水が豊富にあり、厩舎を東側に作ったほうがそれを利用しやすかった→それで自然とスタンドは西側、コースは左回りになった、というものです。
『ウイニング競馬』でおなじみの大久保洋吉先生によると、東京競馬場の東側には、かつて湧水をたたえた池があったとのこと。“水由来説”に繋がる話だと思いませんか?
一方で、東京はアメリカの競馬場をモデルに作られた、という説もあるようです。そもそも、アメリカはなぜ左回りなのか?答えを探していたところ、こんな話が出てきました。
「1787年、北アイルランド移民の子であるウィリアム・ホイットリーという人が、ケンタッキーに合衆国独立宣言後初とされるレーストラックを作った。彼はイギリスを軽蔑していた。もともと、アメリカに入植したイギリス人が行っていた競馬は芝の右回りだった。そこで彼は、コースを芝ではなく粘土にして、馬を左回りに走らせた。それ以来、アメリカの競馬場は左回りになった」。
しかし、イギリスには、すでにエプソムダウンズやドンカスターなど、左回りの競馬場がありました。アメリカでイギリス人が左回りの競馬をやっていたら、今のアメリカ競馬は右回りになっていたかもしれません。
ちなみに、1821年にニューヨークのクイーンズにできたユニオン競馬場は右回り。ベルモントパークも1905年の開設から15年間は右でした。また、ニュージャージーのモンマスパークも右回りの時代があったそうです。
まだまだ書きたいことがありますが、このくらいにしておきます。結局、競馬場に右回りと左回りがある理由は、「都合のいいように作ればよかったから」と思えてきました。
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矢野吉彦
テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。
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