境町トレセン〜その後〜

2006年02月21日(火) 23:51

 ちょうど一年前の今頃は、各地の地方競馬が存廃問題に揺れていた。一昨年末に高崎が廃止され、同じ頃岩手では県議会が融資問題で紛糾した。年が明け今度は笠松が存廃を巡って結論をなかなか出せず、2月に入り梶原拓知事(当時)の判断で一年間の試験的存続が決定したのは記憶に新しい。そして3月末、宇都宮が廃止となり、北関東の三競馬場がいずれも姿を消した。

 それ以降は、今のところ直接の存廃論議が浮上している競馬場はないが、ギリギリで踏み止まっているといった印象のところが多い。北海道然り、岩手然り。そして、笠松も高知も、決して安閑とはしていられない状況が続いている。

 さて、そんな中、北関東では旧・高崎競馬に所属していた関係者が中心となり、昨年9月に旧・境町トレセン(高崎競馬)を借り受けて新たに民間の株式会社を立ち上げ、育成牧場経営に乗り出した。名づけて「境共同育成センター」という。

 去る1月のある日。この育成牧場設立のメンバーの1人、S元調教師から手紙が届いた。文面にはこうしたためてあった。

 「拝啓、厳寒の候ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。(中略)旧境町トレセンは、群馬県が競馬関係者の支援対策として、昨年9月に境共同育成センター(株)が承認され、育成事業が始まりました。つきましては当方も育成・休養の業務を開業致しましたので、今後ともよろしくお願い申し上げます。」

 そして、以下には預託料やスタッフの名前、獣医師と装蹄師に関することなどが簡単に記されていた。預託料は1ヶ月で税込み18万9千円。治療費、装蹄代は別、とある。

 昨年9月に開業したこの会社は、基本的に「施設管理会社」であり、元高崎や宇都宮の調教師だった人々が施設内の馬房を借り受け、賃貸料を支払って各々育成牧場を経営するという方式である。従って、境町共同育成センターには、その施設を借りて業務を行う幾人もの店子がいる、ということになる。S師はその中の1人であり、本来ならば昨年9月に早々と開業する予定だったのだが、年明けにそれがずれ込んだらしい。なぜ、3ヶ月も開業が遅れてしまったのか。それは、昨年末まで廃止に伴って支払われた補償金を受け取っていたからに他ならない。

 群馬県側の説明によれば「たとえ1頭でも馬を預かり管理していると、育成業務を開始したと見做される」ために、その時点で補償金が打ち切られることから、それを最大限に受給するためのやむを得ない選択だった、ということらしい。

 とはいえ、1月開業では、いかにもタイミングを逸している。すでに今年デビュー予定の2歳馬は昨年秋から暮れにかけて、ほとんどがどこかの育成牧場へと移動してしまっている。新規の顧客開拓としては時期があまりにも悪すぎる。

 案の定、思ったほどの管理頭数に達しないようで、つい先日S師に話を聞いたところでは「こんなに営業が大変だとは思わなかった」という弱気の発言も漏れてきた。境町は昨年の町村合併により、現在は伊勢崎市に編入された。地元に競馬場がなくなってしまったため、主としてターゲットは、中央の美浦トレセンと南関東4場の地方競馬だが、地理的条件は千葉や茨城県下の育成牧場などと比較するとかなり不利である。“売り”は、施設ということになるものの、一周1200mの馬場と800に及ぶ馬房数があっても、現在は全体で160〜170頭程度の管理頭数に止まる。後発組のS師の場合は、未だ一桁の頭数だ。

 「これからまだまだ施設の面でも育成牧場としての体裁を整える必要があり、サンシャインパドックやウォーキングマシーン、さらには坂路コースや悪天候の時に使える屋内馬場など、きりがない」とS師は語るが、さしあたって「独立採算」というハードルを乗り越えるためにはまず現在の管理頭数をもっと増やさなければならない。

 群馬県は、高崎競馬を開催していた時代には、敷地の60%に及ぶ民有地を境町トレセンとして借り受ける「店子」であった。ところが、廃止後は県が所有する40%の土地とトレセン施設を新会社に貸す「家主」という立場に豹変した。つまり、新会社は、県および民有地の所有者双方に地代を支払う義務が生じてしまったことになる。「せめて新会社が育成牧場として軌道に乗るまでは地代免除などの措置をして欲しい」というのがこの施設内で育成業務に携わる人々の希望だが、群馬県側は今のところ態度を崩していない。すなわち「あくまで民間会社として経営努力をするべき」であり、「地代や施設借用料をきちんと支払えるような育成牧場を目指せ」ということらしい。

 S師ならずとも、浮世の風の冷たさが身に染みてくる話だ。「競馬場があった頃は、ただ同然の施設使用料で済んだし、馬も入っているだけで金になった。それから比べると、民間の仕事というのは本当に厳しい」としみじみ語る。

 境町トレセン内の馬房は家賃が4万強と割高である。つまり前述の18万9千円の中の2割以上が家賃で飛ぶ計算だ。「それでも、顧客の1人からは預託料が高い、と言われた」とS師がぼやく。現在、顧客として馬を預けてくれるのは南関東の人がほとんどなので、値引きもやむを得ないと覚悟をしているようだ。

 北関東三場の元関係者は、それぞれ別の仕事を見つけたり、または他の競馬場に転出した人もいる。だがこのトレセンに新たに立ち上がった育成牧場の行方に注目している人も少なくないはずだ。S師は「結局、馬の仕事に戻りたい人が多いんだろうと思う」と言い切る。慣れない他の仕事は心身ともに消耗が大きく長続きしないので離職率が高い、とS師は具体名を挙げて元高崎の騎手の“その後の話”を聞かせてくれた。

 競馬場が減り、馬の需要が先細りとなりつつある中で新たに船出したこの育成牧場は、ある面、廃止後の関係者の再就職先として注目される存在である。何とか軌道に乗って欲しいところだが、いかにも前途多難で、厳しい道のりが待っていることだけは間違いなさそうだ。

バックナンバーを見る

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

田中哲実

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

新着コラム

コラムを探す