反省文を見つけてまた反省

2021年07月22日(木) 12:00

 実家の最寄り駅から新千歳空港に向かう快速エアポートの車内でこれを書いている。このところ札幌は鬼のように暑い。35度を超えても、実家にはエアコンがないので、扇風機でしのぐしかない。毎日汗びっしょりになって仕事をしていた。

 滞在中、ついにワクチンの予約ができた。しかし、1回目の接種が8月中旬なので、このままだと、相馬野馬追に行く前に打つことはできない。出発は今週の金曜日。この稿がアップされる木曜日、最後のキャンセル待ちに賭けてみるつもりだ。できれば、1回だけでも打ってから出かけたい。

 今回札幌に来たのは、実家の売買手続きと、車検の見積もり、そして、両親の遺品整理のためである。父親は、送られてきた書類の封筒まですべて保存し、ちょっとした小旅行でも、何時にどこのインターから高速に乗り、どこのサービスエリアで何分休憩して何を飲み食いして、それぞれの距離はどれだけで……といったことも記録する、細かい性格だった。

 そのため、残された書類は膨大で、土地家屋調査士に依頼された「家の増築部分を父が本当に所有していたことを証明するための書類」として、施工見積書や領収書などを探し出すのに、ひどく時間がかかった。

 見積書と領収書が出てくるまで、家の売買に関係のない懐かしいものや身に覚えのないものも、いろいろ出てきた。そのひとつが、私が小学校1年生のときに書いた「どくしょノート」である。

【ほんのなまえ】てんぐのかくれみの
【かいたひとのなまえ】あさくらせつ
【わかったこと、おもしろかったことなどをかきましょう】
ぼくは ひこいちが 水たまりにはいったところがおもしろかったです。
どうしてかとゆうのはひこいちがしぶいかおをしたからです。

 ここまでならよかったのだが、高校生のときに書いた反省文まで出てきた。「自分のした事がひどく悪い事だったということが、○○先生の話を聞いてはっきりわかりました。今考えてみると、自分でもバカなことをしたと思います」(原文では「○○」は実名)という書き出しで、「今回の反省をこれからの行動に生かしていきます」と結んでいる。

 島田少年の名誉のために申し添えると、やらかしたのは、いじめなどではない。当てはまるとしたら器物損壊か。

 反省文というのは、それを書かせた教師や親ではなく、書いた本人が忘れないようにするためのものだということが、あらためてわかった。正直に言うと、何をしたかは覚えていたが、反省文を書いたことは忘れていて、また反省した。

 騎手が走行妨害などで制裁を食らい、制裁点の累積が基準を超えると反省文を書かされるらしい──と書いたことはあったが、自分も反省文を書いていたとは、恥ずかしくなった。

 しかし、考えようによっては、私がこうして書いているものはすべて反省文とも言える。

 レースリポートやインタビューを、たとえ一人称を使わない「サイレント」の形で書いたとしても、必ずしも客観視しているわけではなく、「自分の感じたこと」を書いている、もっと言えば、「自分自身」を書いている、と言うことができる。何から書き出すか、どの情報をどんな順序で、それぞれどのくらいの分量で書いていくのかとなると無数の組み合わせとなり、それが「自分」というか、「自分らしさ」を書くことになる。

 その「自分」は、何十年も反省を繰り返してつくり上げられたものなのだから、私がこうして書いているのは、やはり反省文なのだ。

 少し前、新千歳空港のラウンジにチェックインした。来ている自分が言うのも何だが、結構人が多い。

 先日、4年ぶりにツイッターを再開した。4年間休んでいるうちに、使い方がずいぶん変わっている。(私から見ると)新たな用語も多く、使ってみたいとも思うのだが、まだちょっと照れがある。相馬野馬追の様子はなるべくツイートしようと思っているので、よかったらフォローしてください。

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

バックナンバーを見る

島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊競馬ブック、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。netkeiba.com初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリー『ノン・サラブレッド』。

関連サイト:島田明宏Web事務所

関連情報

新着コラム

コラムを探す