23歳で天国へ…夢をくれたビッグテーストに「ありがとう」

2021年12月01日(水) 12:00

日々是好日

▲03年の中山グランドジャンプを制したビッグテースト

2003年の中山グランドジャンプを制し、JRA賞最優秀障害馬にも選出されたビッグテーストが11月11日に天に召されました。今回はそんな同馬との日々を振り返ります。

 幸騎手、中竹調教師、そしてスタッフの皆様、おめでとうございます! エリザベス女王杯はアカイイトで繋がっていましたね、すごい事です。アカイイトは、オーナー様ともつながって女王に堂々と名乗りを上げ、今後が楽しみです。いつもお世話になっていて大好きな先輩に、一番先に「おめでとう!」と叫びたかったのですが、トレーニングセンターに取材に行けず、顔を見てお祝いできないのが悔しいです。

 そして私にも、赤ではなくピンクの糸でつながる馬がいます。

「普通の障害馬ではない」ビッグテーストと過ごした日々

 私の現役時にGIをプレゼントしてくれたビッグテーストが、23歳で大往生しました。軽井沢にある土屋乗馬クラブで乗馬をしていましたが、11月11日にスタッフに見守られて安らかに天に召されたそうです。知らせを聞いた時は信じられず、ビッグテーストはいつも私のそばにいてくれると信じていました。

 2012年に軽井沢まで会いに行ったときは、とても穏やかな様子に驚いたことを覚えています。

 現役時代は“かむ・蹴る・立ち上がる”で気の強い馬でした。久しぶりに跨ると、いつもの歩様でしっかり歩き「やっぱりビッグテーストやなぁ」と感激でした。顔を撫で、愛撫しても素直にほほをよせてくれ、「うん、うん。この感触や」と騎手時代を思い出し、ビッグテーストと中山グランドジャンプのことを会話したように思います。

日々是好日

▲軽井沢にある土屋乗馬クラブにて

 2000年に中尾厩舎に入厩した時は、ビッグショウリ号の弟で期待が大きかったビッグテースト。新馬戦を勝利しましたがその後なかなか思うように勝てず、オリンピアンでもある広田龍馬氏に調教を依頼し、障害馬に転向。とても上手く跳ぶようになっていました。

 2002年には4歳で障害未勝利戦を勝ち、小倉サマージャンプでは3着に。上手く跳んでくれる馬に成長し、自信をもってレースに臨みました。クラスが上がると最後に差されてしまうレースが続き、5戦目に「兄のビッグショウリのようなレースをしよう」と。後ろから進め最後の障害飛越まで我慢し、飛越してからラストスパートをかけました。そこまで長い距離を走っているのに、すごい豪脚で伸びてくれました。一気に差し切ることができたんです。中山新春ジャンプS・春麗ジャンプSを連勝し、ビッグテーストは普通の障害馬ではない強い馬だと感じました。

 その頃から中山グランドジャンプに挑戦したいと思いはじめます。ビッグテーストは真っ直ぐではなく右へ跳ぶ癖があるので、左回りコースなら真っ直ぐに跳んでくれるのではないかと練習しましたが、やはり右へ跳んでいました。

 イメージできた頃に、阪神競馬場で落馬し鎖骨を骨折。絶対に間に合わせると必死でリハビリし、酸素カプセルは今のようにまだ普及していなかったので西宮まで毎日通い、中尾先生にも「絶対に間に合わせるから乗せてほしい」とお願いしました。

 中山グランドジャンプはバンケットがあり、ビッグテーストも私も体験したことがなかったので、前日に練習しました。高低差も大きく、馬に乗っていても向こう側が見えないんですね。山あり谷ありでコースターに乗っているような気分でした。それでもビッグテーストは走ってくれたので、レースに臨むことができました。

 いよいよ当日。朝日をいっぱい浴びてコースを眺め、馬場を自分の足で歩き「よし! これで大丈夫。あとはビッグテーストを信じるだけ。頼むぞ。」という思いで迎えました。レース当日は中尾秀正調教師が同行してくれていました。

 GIはスピードが違っていましたが、焦らずに後ろから進めて、2週目の大障害を跳んでからが勝負だと思い、「外回りのコースの置き障害を無事に跳んでくれたら大丈夫。そこから勝負をかけていく」という気持ちでした。最後の直線でギルデッドエージ号を見つけた時は、「よし、あの馬を差し切れば勝つ!」と思い気合いを入れると、よく伸びてくれました。

 結果は、4.48.9秒のレースレコードで優勝。「ありがとう、よく頑張ったね、お疲れ様!」と何回も愛撫しました。そして2003年度のJRA最優秀障害馬に選ばれ、表彰。名誉な賞をいただきました。これにはビッグテーストも自分もびっくりです。

「タキシードないぞ、表彰式にはどんな格好でいけばいい?」「好きな格好で行け」などと、わっくん(和田竜二騎手)と笑い話をしていました。先生に「やりました」と報告すると、「よく頑張ったな」の声を聞き涙があふれてきました。落馬し記憶障害になっていますが、この時の感動は今でも熱くこみ上げてきます。最高の宝物です。先日も中尾先生のご自宅にお邪魔し、GIレースを見ながら中山グランドジャンプのレースの話題になりました。

 ビッグテーストは引退後、栗東ホースクラブを経て長野県の草競馬で走っていましたが、土屋乗馬クラブのお嬢様が気に入り、土屋社長の1年半の粘りでクラブに所属しました。会いに行った時も「ボス」と呼ばれGI馬の風格を残していました。クラブのみんなに愛されゆったりと余生を過ごしたようで嬉しいです。

 天国へ旅立った知らせは、青葉賞優勝のルゼルと一緒に馬場内を散歩している姿を見てほっとした矢先の出来事でした。ビッグテースト、ありがとう。ゆっくり休んでください。私の中ではずっと生きる永遠の宝物です。私もいつかはビッグテーストのような芯の強い馬とパラリンピックに挑戦したいと思っています。

日々是好日

▲土屋さんとテースト号

 11月5日から三木ホースクラブでパラの大会に参加してきました。オリンピックが終われば経路が変更されるのですが、私の場合記憶できないので、トレーナーが経路を読み上げることが許可されています。競技は、インカムを通してトレーナーの指示をしっかり聞き、間違えずに経路を上手く回ることができました。

 インカムで聞くことに慣れ、トレーナーの指示をしっかり聞き活発に回れるように練習し、来年行われる世界選手権に臨みたいと思っています。課題は山積みですが、ビッグテーストが高いところから見てくれているので心強いです。ビッグテースト、約束どおり頑張るからな…!

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オカン ビッグテースト大往生の知らせを聞き「えっ、うそ」と絶句する息子を見た瞬間、その絆の深さに改めて気づかされました。

「心の支えになっていたんだな。蹴ったり噛んだりする馬やったけど、跳んだり走ることが好きやったな。いい馬やったで。あの時会いに行ってよかったな。もう一度会いに行けばよかった。」と息子。

 障害をもってから那須乗馬クラブへ乗馬のライセンス2級の試験を受けに行き、合格。ビッグテーストに報告するためにクラブへ。「常石騎手とは縁があるんですよ」と教えてくれました。ビッグテーストを障害乗馬にトレーニングしてくれたのがこの乗馬クラブの広田龍馬さんで、中山グランドジャンプで優勝した時には報告とお礼に行っていました。今度、土屋牧場を訪ねてお墓参りに行きたいと思っています。

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 先日は日本馬がブリーダーズCを初制覇しましたね。矢作調教師・厩舎はラヴズオンリーユー号と川田騎手で、マルシュロレーヌ号はダートをO.マーフィー騎手で優勝。おめでとうございます、素晴らしい快挙です!

 マイルチャンピオンシップでは、グランアレグリアが負けられない1戦を制覇し有終の美を飾りました。そしてジャパンカップでは、コントレイルが最後のレースを勝利で飾りましたね。息子もユーイチ(福永祐一騎手)の男の涙にもらい泣き…「やっぱりユーイチやな」と自慢していました。

 今回は記憶障害のある息子にとって、記憶にも記録にも残る有終の美のレース回顧にお付き合いいただき感謝申し上げます。

「ビッグテーストへの思いをコラムに載せよう」と話すと、独り言のようにレースを再現し、ビッグテーストを思い出し綴っています。2級ライセンスも取ることができたので、やっぱりビッグテーストのおかげかな? 勝義は、何かを引き寄せる魔術のようなものがあると…だから馬術も、自分のものにぐっと引き寄せてほしいと願うオカンです。

 常ちゃんこと常石勝義&オカン

※次回の更新は1/11(火)12時を予定しています。

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常石勝義

1977年8月2日生まれ、大阪府出身。96年3月にJRAで騎手デビュー。「花の12期生」福永祐一、和田竜二らが同期。同月10日タニノレセプションで初勝利を挙げ、デビュー5か月で12勝をマーク。しかし同年8月の落馬事故で意識不明に。その後奇跡的な回復で復帰し、03年には中山GJでGI制覇(ビッグテースト)。 04年8月28日の豊国JS(小倉)で再び落馬。復帰を目指してリハビリを行っていたが、07年2月28日付で引退。現在は栗東トレセンを中心に取材活動を行っている。

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