早すぎる別れと『馬のこころ』

2022年01月13日(木) 12:00

 悲しいニュースが舞い込んできた。

 昨年のイギリスオークスをレース史上最大の16馬身差で制するなど、ヨーロッパでG1・3勝を挙げたノーザンファーム生産のディープインパクト産駒スノーフォール(牝4歳、エイダン・オブライエン厩舎)が、骨盤を損傷して急死した。11日、現地メディアのレーシングポスト電子版などで報じられた。

 イギリスオークス優勝後も、アイリッシュオークスを8馬身半差、ヨークシャーオークスを4馬身差で圧勝。つづくヴェルメイユ賞で2着、凱旋門賞6着、ブリティッシュ・チャンピオンズ・フィリーズ&メアズステークスでは3着と敗れたが、カルティエ賞最優秀3歳牝馬に選出された。

 競走馬としてのさらなる活躍はもちろん、繁殖牝馬として、その突出した能力とディープの血をつなげていく大切な役割を期待されていただけに、関係者やファンの受けた衝撃は大きかった。

 先日のワグネリアンにつづき、現役の名馬の死は、何ともやり切れない。いつ、何が原因であっても、世を去ったときが寿命だという考え方もあるが、やはり早すぎる。勝手な受け止め方かもしれないが、ワグネリアンとスノーフォールが、私たちに、立ち止まって思いを馳せる時間を与えてくれたととらえ、事実を受け入れるようにしたい。

 生き物が極限の力を競う競馬という競技においては、どうしても生死のさまざまな場面に遭遇することになる。しかも、私たちが向き合うのは、愛らしい存在ではあるが、人間よりずっと大きく、食べ物も生活リズムもまったく異なるサラブレッドという生き物だ。

 角居勝彦元調教師はこう言っていた。馬は、当初から人間と対等であろうと考えてはいない。体の大きさや、力の違いから、自分たちより人間を下に見ている。それを知っておかなければならない、と。

 ということは、「可愛い、撫でたい」という、こちらの感じ方だけを押しつけて接していては、いつまで経っても、本当に理解し合うことはできないのだろう。

 体の大きさはともかく、パワーでは、当歳の時点で人間の大人を上回るのだから、こちらとしては、いかに対等の関係を築き上げるか、つまり、いかに友達になるかを早い段階から考えなくてはならない。

 馬はいくつかの言葉や、声の調子の変化を理解してはくれるが、話はできない。こちらの表情の変化に気づいてはくれるが、それが感情の動きによるものと認識しているかどうかはわからない。

 想像するしかない部分のあることが、適度な距離を取ることにつながり、それが互いの領分を尊重し合うことにもなる――ということは、前にもここに書いた。

 そうして向き合うには、想像するための材料が必要なのだが、その参考書になりそうな本が、2021年度のJRA賞馬事文化賞を受賞した。

 馬の調教や騎乗者の指導に脳科学を取り入れる認知科学者、ジャネット・L・ジョーンズ氏による『馬のこころ 脳科学者が解説するコミュニケーションガイド』である。恥ずかしながら、まだ読んでいないのだが、JRAサイトの「受賞理由」にある「脳科学という新しい視点を用いて馬の行動を分析し、馬を最優先に考えた真のホースマンになるための方法」というくだりを見ただけで、興味深いものであることがわかる。

 もうひとつの受賞作『馬と古代社会』(佐々木虔一氏・川尻秋生氏・黒済和彦氏編)は、私が調べつづけている競馬史の土台に相当する馬と人間との関わりを、さまざまな著者が異なる視点から描いた568ページの大作だ。

 私が、「馬事文化賞の大本命はこれだ」と思っていた作品は、12月に発表された。今回は、昨年10月末までの1年間に発表された作品が対象なので、そちらは2022年度のエントリーとなる。なお、私のことだからひょっとしたらと思われるかもしれないが、それは拙著ではない。

『馬のこころ 脳科学者が解説するコミュニケーションガイド』に話は戻るが、アマゾンの説明文にある「人間の脳と馬の脳は連携して働いている」という文言は、これが自分の本なら帯文にしていると思うくらいインパクトがある。そうして互いの脳を連携して働かせるのは、「一体感」を重視される馬が相手となるときだけなのか。それとも、イルカやゾウなどの調教においても、また、犬や猫、鳥などの愛玩動物に接するときも、互いに脳を連携させることはあるのだろうか。興味は尽きない。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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