【師匠・曾和先生登場!】第3回「“たぶん棺桶に入るまで思ってるやろな”…弟子の中央入りとひとつの懺悔」

2022年01月25日(火) 18:01

太論

▲曾和師の“懺悔”とは…(C)netkeiba.com

2022年の『太論』は、スペシャル対談からスタート! ゲストにお迎えしたのは、園田時代の師匠、曾和直榮元調教師です。今回は、満を持して実現した師弟対談とあって、おふたりの出会いから二人三脚での戦った日々、中央への挑戦と移籍、そして現在に至るまでの戦いをじっくりと語り合う時間となりました。

第三回のテーマは、「中央移籍」。中央での騎乗を叶える唯一の切符、認定レースでの勝利を目指し、他厩舎に頼み込んでまで馬を用意したという曾和師。しかし、逆の立場になったときには、複雑な思いも経験したそうで…。当時の思いを赤裸々に語ってくれました(取材・構成=不破由妃子)

弟子の中央GI初制覇に「どないしていいかわからんかった…」

──小牧さんの「外国で乗りたい」という野望にはストップをかけた曾和先生ですが、中央に乗りに行くことに対しては、どういうスタンスだったのでしょうか?

小牧 中央に乗りに行けるよう、全面的にバックアップしてくださいましたよね。

曾和 うん、馬をそろえて応援してた。最初はね、まさか安藤勝己くんのああいうルール(直近5年以内に2度20勝以上したら一次試験免除)ができるとは思わんかったけど、安藤くんが受かったあと、なんとしてもこの流れに便乗せなアカンと思って。当時、中央に乗りに行くためには、JRAの認定レースを勝つ必要があったでしょ? 中央に移籍したい地方ジョッキーがいっぱいおった時代やから、それを勝つのが難しくてなぁ。でも、よう勝ったよな。

小牧 はい。先生のおかげですよ、ホントに。

曾和 自分の厩舎の馬がおらへんかったら、よその厩舎に頼み込んで。それが唯一の中央に乗りに行く切符やったからね。行けるとなれば、今度は中央の調教師に「小牧が今度乗りに行くので、よろしくお願いします」言うて。みんな可愛がってくれてね、「小牧、いつ来るねん」ってよう言われたわ。

 太が2年連続で20勝以上をクリアしたあとは、今度は(岩田)康誠や。僕の弟子ではなかったけど、力を貸してくれって言われたから、本来なら太が乗るはずだった馬を康誠に回して。そうすると、・・・

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小牧太

1967年9月7日、鹿児島県生まれ。1985年に公営・園田競馬でデビュー。名伯楽・曾和直榮調教師の元で腕を磨き、10度の兵庫リーディングと2度の全国リーディングを獲得。2004年にJRAに移籍。2008年には桜花賞をレジネッタで制し悲願のGI制覇を遂げた。その後もローズキングダムとのコンビで朝日杯FSを制するなど、今や大舞台には欠かせないジョッキーとして活躍中。

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