2022年09月04日(日) 18:01
▲2008年凱旋門賞時の武豊騎手と松本好雄オーナー(左)と息子の松本好隆氏(右)(撮影:平松さとし)
2006年のディープインパクト以降、凱旋門賞への騎乗が増えていく武豊騎手。次のテーマはメイショウサムソンで挑んだ2008年凱旋門賞。しかし、メイショウサムソンはこの前年にも凱旋門賞挑戦のプランがありましたが、当時競馬界を揺るがしていた“馬インフルエンザ”に感染し、遠征を断念するという経緯がありました。
そんな2007年の挑戦に際しては当時の主戦騎手、石橋守騎手からの乗り替わりにまつわるエピソードが。そして1年コンビを組んで迎えた2008年は、武豊騎手をデビュー時から支えたメイショウ・松本好雄オーナーへの思いを込めた挑戦、そこで武豊騎手はどんな言葉を残したのでしょうか…。凱旋門賞当日に起きた裏話も交えて振り返ります。
(構成=平松さとし)
1994年、ホワイトマズルに騎乗して自身初めての凱旋門賞(G1)騎乗を果たした武豊騎手。
「それまでは遠い存在だと思えた凱旋門賞が、一気に現実味を帯び、目標のレースとなりました」
2001年にはサガシティで、06年にはディープインパクトでこの世界最高峰の1番に挑んだのは、当コラムで先に記した通り。それまでは5〜6年に1度、騎乗出来るかどうかという流れだったが、ディープインパクト以降、凱旋門賞に臨む間隔が飛躍的に縮まった。
まずは07年。前年のディープインパクトから2年連続で騎乗するプランがあった。依頼されたのはメイショウサムソン。06年には皐月賞(GI)と日本ダービー(GI)を、そしてこの07年には天皇賞・春(GI)を優勝。それらのレースで騎乗していたのは石橋守騎手(当時、現調教師)だったが、凱旋門賞に挑戦するにあたって、フランスでの経験が豊富で同レースにも3度参戦した事のある武豊騎手に白羽の矢が立ったのだ。
先述した通り石橋守騎手は日本ダービーなどGIで3度、この馬を頂点に導いていた。決してミスをしていたわけではなかった。それでも乗り替わるにあたって、オーナーの松本好雄氏は、同騎手を会食に誘い、頭を下げて了承を得たという。
▲武豊騎手と石橋守騎手(写真はメイショウサムソンの引退式)(c)netkeiba.com
こうして依頼を受けた日本のナンバー1ジョッキー。石橋守騎手とも懇意にしていただけに、相当の重圧がのしかかったであろう事は想像に難くない。ところが思いもしない事態が、武豊騎手を、そしてメイショウサムソンを襲う。この年の秋、あろうことか馬インフルエンザが流行。日本馬の海外渡航に赤信号が灯る。それどころかメイショウサムソン自身が馬インフルエンザに罹患。凱旋門賞挑戦というプランは水泡に帰した・・・
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平松さとし
1965年、東京都出身の競馬ジャーナリスト、ターフライター。国内だけでなく、海外での取材も精力的に行なっており、コラムの寄稿や多数の著書を出版するなど幅広く活動している。
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