【凱旋門賞】史上最多の4頭参戦も「ワン・チームではない」という興味深いアプローチ

2022年09月28日(水) 12:00

注目の天候は、今週末まで毎日のように雨が降るという予報

 日本の競馬界にとっての悲願となっているG1凱旋門賞(芝2400m)が、今週日曜日(10月2日)にフランスのパリロンシャン競馬場で行われる。

 日本からは、このレースとしては過去最多となる4頭の精鋭が、既にフランス入りし、目前に迫った大一番へ向けて最終調整に余念がない。

 ごく一般論になるが、ある程度頭数がまとまって遠征する方が、海外参戦は成績がよいと言われている。

 馬は集団動物であるゆえ、出国検疫から輸送、現地到着後の調整という過程において、身近にお仲間がいることで馬が落ち着くし、複数の陣営がチーム・ジャパンを組み、何かと助け合う中で出走態勢を整えることが出来れば、好成績に繋がりやすい面は、確かにあると思う。

 ただし、今回フランスに渡った日本勢は、頭数的に過去最多ではあるものの、「チーム・ジャパン」と称するには、いささか趣が違う点には、留意しておいてよいかもしれない。

 遠征先はフランスで、大目標とするレースは共通しているゆえ、4頭が呉越同舟すれば、前述したように馬たちは安心するし、また凱旋門賞は招待競走ではない中、積み合わせた方が費用的にも安くなるのが道理である。

 ところが、おおかたの予測に反して、今回の4頭はすべて別々の輸送便でフランス入りをしている(ドウデュースにはマイラプソディ、ディープボンドにはエントシャイデンという、トラベル・コンパニオンはいたが)。

 本番でピークを迎えるために、現地で前哨戦を使うのか、使わないのか。使うとすれば、どこを使うのか。使うにしろ使わないにしろ、本番の何日前にフランス入りするのか。4頭の陣営それぞれに思惑があり、結局、4頭の遠征に4機の輸送便が用意されることになったのである。

 さらに、現地における滞在厩舎も、3か所に分かれることになった。ステイフーリッシュとディープボンドは清水裕夫厩舎、ドウデュースはパスカル・バリー厩舎、タイトルホルダーは小林智厩舎が、フランスにおける拠点となっている。

 これも、数ある調教コースの中のどれを使うことになるのか、厩舎から調教コースへの動線はどうなっているのか、馬房の環境や厩舎内の使い勝手はどうか、などなど、様々な観点を十二分に吟味した上で、それぞれの陣営が判断した結果、3か所に分かれることになった。

 したがって、4頭が「ワン・チーム」という形での参戦には、なっていないのである。誤解のないように書けば、それが悪いと言っているわけでは決してない。

 むしろ、実に興味深いことで、おおいなる関心をもって、フォローさせていただいている。4頭がそれぞれ、異なったアプローチを試みているのだ。

 1969年のスピードシンボリを皮切りに、既に半世紀以上にわたってこのレースに挑みながら、残念ながら今日まで、日本馬による凱旋門賞制覇は達成されていない。

 すなわち、どうすれば勝てるのか、正解がまだ見つかっていないのである。愚直に挑戦を繰り返していれば、いつかは勝てるかといえば、それは大間違いだろう。

 4つの異なるアプローチを試みれば、ひょっとしてこのうちの1つが正解であるかもしれないし、仮に今年も勝てなかったとしても、4つもの異なる試みが来年以降にフィードバックされた時、計り知れない糧となることは言うまでもない。

 まずは、各陣営の思惑通りに調整が運び、本番当日を迎えることを、心から祈っている。

 ただし、いくら祈ってもままならないのが、凱旋門賞の行方を左右する、最後にして最強のピースとなりうる「天候」だ。

 先週の半ばパリ16区の長期予報は悪くなく、週初めや金曜日に傘マークは出ていたものの、1日(土曜日)、2日(日曜日)は「ドライ・アンド・サニー」という予報だった。

 これなら、昨年や一昨年のような酷い馬場は避けられるかと見ていたら、先週末あたりから週間予報が変わり、今週初めの段階では、今週末まで毎日のように雨が降るとの予報が出ている。

 ここも誤解のないように書けば、エルコンドルパサーが2着になった1999年も、オルフェーヴルが2着になった2012年も、馬場はひどい道悪で、雨が降ったからと言って、必ずしも日本馬のチャンスがなくなるわけではない。

 ただし、馬券検討の重要なファクターになることは間違いなく、2日(日曜日)まで天候と馬場は、しっかりチェックする必要がありそうだ。

 なお、筆者の馬券的結論については、週末のネットケイバで発表する予定ですので、そちらをご参照ください。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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