ポストディープの凱旋門賞

2022年09月29日(木) 12:00

「ミスター競馬」野平祐二氏(1928-2001)を背にしたスピードシンボリが日本馬として初めて凱旋門賞に出走したのは1969年のことだった。あれから53年。のべ29頭の日本馬が世界最高峰の舞台に挑んできたが、周知のように、最高着順は4回の2着。1999年のエルコンドルパサーと、2010年のナカヤマフェスタ、12、13年のオルフェーヴルである。

 今年は史上最多の4頭の日本馬が、10月2日の第101回凱旋門賞に参戦する。

 ハイペースで先行して大舞台を勝ち切る力のあるタイトルホルダー。

 同様に、逃げ・先行の競馬で海外重賞を連勝したステイフーリッシュ。

 日本では好位からの競馬で結果を出しながら、昨年フォワ賞を逃げ切り、凱旋門賞にも出走(14着)した経験のあるディープボンド。

 そして、後方一気の末脚が武器で、ニエル賞(4着)でコースを経験し、斤量面で有利なドウデュース。

 タイトルホルダーは序盤から淀みのない流れを引っ張りたいところだろう。ステイフーリッシュとディープボンドは、緩めのペースのなかで先行したいはず。ドウデュースは、途中から急に流れが速くなるような消耗戦になれば、突き抜ける可能性がある。

 それぞれ得意な形や強みが異なるだけに、どんな展開になっても、どれか1頭にはチャンスが巡ってくるのではないか。

 タイトルホルダーには横山和生騎手、ステイフーリッシュにはクリストフ・ルメール騎手、ディープボンドには川田将雅騎手、そしてドウデュースには武豊騎手が乗る。

 横山騎手は凱旋門賞初騎乗。ルメール騎手は2002年にセンシブル(16着)で初騎乗を果たし、これまで11回参戦したが、プライドで臨んだ2006年の2着が最高。日本馬でも16年マカヒキ(14着)、17年サトノダイヤモンド(15着)、19年フィエールマン(12着)と挑戦を繰り返してきた。

 川田騎手は14年ハープスター(6着)、17年サトノノブレス(16着)、19年ブラストワンピース(11着)と3回騎乗している。

 武騎手はこれまで9回乗っている。94年ホワイトマズル(6着)、2001年サガシティ(3着)、06年ディープインパクト(3位入線後失格)、08年メイショウサムソン(10着)、10年ヴィクトワールピサ(7着)、13年キズナ(4着)、18年クリンチャー(17着)、19年ソフトライト(6着)、21年ブルーム(11着)で、今年が10回目となる。

 昨年までの100回で、ヨーロッパ調教馬以外は勝ったことのない高い牙城を、4人のうち誰かが崩すことができるか。

 案外、怖さを知らない、と言っては失礼かもしれないが、凱旋門賞で悔しい思いをしたことのない横山騎手があっさり勝ってしまうかもしれないし、武騎手が日本ダービーと同じ10度目の参戦で悲願を果たすかもしれない。

 私が初めて現地で見たのは1994年、カーネギーが勝ち、武騎手のホワイトマズルが6着に敗れたときのことだった。岡部幸雄氏が乗ったダンシェンヌ(20着)も参戦していたそのレースは20頭立てで、パドックや馬場入りのときは感じなかったのだが、日本のフルゲートより2頭多いだけなのに、レース中は「馬だらけ」に見えた。それだけ馬群が堅牢というか、タイトで、隙がなかった。また、流れも遅かった。実際、ホワイトマズルがそうしたように、後ろから行くと、馬群の外を回るしかなかった。「日本馬が参戦するなら逃げ馬がいい」と、あの一戦を見た多くの人が感じたことだろう。

 であるから、先行力のあるエルコンドルパサーはチャンスだと思っていたし、2004年に17着に終わったタップダンスシチーも面白いと思っていた。

 ディープインパクトが出走した2006年は、前にも書いたと思うが、本番が近づくにつれ、あの馬の強さに恐れをなしたかのように次々と回避する馬が出て、最終的には8頭立てという少頭数になった。この頭数なら、大外を回してもたいしたロスにはならない。ついに日本のホースマンの夢が叶うのか、と、このときも現地で見守っていたのだが、結果は既述のとおり。

 手元に「日本調教馬の凱旋門賞成績」というタイトルの表がある。それを見て意外に感じたのは、ディープインパクトの名がずいぶん上のほう、つまり、最初のほうにある、ということだ。上に「ついに」と記したように、06年の時点で、スピードシンボリによる日本馬初参戦から37年になろうとしていた。

 しかし、今となっては、ディープの前に出走したのが6頭だったのに対し、ディープのあとはのべ22頭と、3倍以上になっている。年数にすると、凱旋門賞におけるポストディープは16年しかないが、頭数においては、プレディープを圧倒しているのだ。

 ディープインパクト、キズナ、ディープボンドと父仔3代にわたって参戦しているのも、挑戦史の厚みを物語っている。

 以前は、わざわざ自分たちを下に置くことはないし、相手を見上げすぎることによって目が曇る恐れがあるからと、こういうときは「挑戦」という言葉を使わないようにしていたのだが、これだけ勝てていないのだから、やはり「挑戦」とすべきだろう。

 間違いないのは、ポストディープのほうが挑戦の切れ目がない、ということだ。父仔3代出走が示すように「連続性」がある。前のチャレンジャーが残したものを生かして、また挑戦し、それを次のチャレンジャーが……と「共有財産」を持ちつづけるようになって16年、ということでもある。

 舞台が日本ならもちろん、ドバイなど間を取った地域でやり合えば、ヨーロッパの強豪が相手でもトップ争いをできるところまで、日本馬のレベルは到達している。

 そろそろ、本当に「快挙」が見たい。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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