2023年03月02日(木) 12:00
気がつけば3月になっていた。三寒四温で春に向かっていくこの時期は、花粉さえなければ、一年でもっとも気持ちがいいのではないか。
JRAでは今週末から新人騎手がデビューし、新規厩舎が開業する。今年の新人騎手は6人、新規開業厩舎は4つ。彼らが勝つことは、すなわち、既存勢力の誰かの勝ち鞍が奪われることでもあるのだが、それでも、一日も早く勝ち名乗りを上げてほしいと思う。
福永祐一調教師が、今週土曜日のチューリップ賞で誘導馬に騎乗することがニュースになっている。先月末までは「福永祐一騎手」と表記されていたのだが、今月からは「福永祐一調教師」になった。まだ違和感のほうが大きいが、やがて慣れてくるのだろう。
福永調教師の騎手引退を知ってから、たびたび思い出されたのが、文士馬主としても知られる直木賞作家の浅田次郎さんの言葉だ。
「王さんがホームラン王のまま引退しなかったように、岡部さんがリーディング争いをしながら引退することはあり得ないんだよ」
浅田さんがそう話したのは1990年代の後半のことだった。
言わずもがなかもしれないが、「岡部さん」とは、福永調教師の父・洋一さんと馬事公苑長期騎手課程で同期だった岡部幸雄さんのことだ。シンボリルドルフとのコンビで史上初の無敗の三冠制覇をなし遂げるなど、歴代2位の通算2943勝 (当時は1位)を挙げた名騎手である。
岡部さんは、52歳だった2000年に103勝を挙げて11度目の関東リーディング(2度の全国リーディングを含む)になった。翌01年も101勝を挙げ、02年にはシンボリクリスエスで天皇賞・秋を勝ち、53歳11か月28日という、史上最高齢のJRA・GI勝利記録を樹立した。
しかし、そのころには左膝の痛みに悩まされており、手術とリハビリで1年ほど休んでから復帰したが、結局、2005年2月20日の騎乗を最後に鞭を置いた。56歳だった。
怪我もあってイメージどおりの騎乗ができなくなった、ということだった。
最後の5年のJRAでの勝ち鞍を見てみると、こうなる。
2001年 101勝 2002年 85勝(うちGI1勝) 2003年 0勝(騎乗なし) 2004年 60勝 2005年 3勝
福永調教師の騎手時代最後の5年は、次のような勝ち鞍だった。
2019年 107勝(うちGI3勝) 2020年 134勝(うちGI3勝) 2021年 123勝(うちGI4勝) 2022年 101勝(うちGI2勝) 2023年 18勝
福永調教師は、岡部さんより10歳若い46歳で騎手を引退した。騎手の40代というのはまだまだやれる年齢だ。
彼のように、引退の前年まで10年以上年間100勝以上をつづけ、GIを勝てそうなお手馬が複数いるのに引退した騎手は例がなかったし、これからも現れないだろう。
まさに、不世出の名騎手だった。
そして、何より、先週のサウジアラビアでのラスト騎乗を無事に終えられてよかった。
先週の後藤騎手に関する記事ではたくさんの反響をいただいた。
福永調教師が、富士山の頂上付近のように長いピークにいるうちにスパッと騎手としてのキャリアにピリオドを打ったことと、後藤騎手が最後まで騎手としてあろうとしたことには通底するものがあると思う。
くどいようだが、死に方は生き方でもあるように、やめ方もまたキャリアのうちだ。
騎手としての、彼らなりのあり方を私たちに示した結果が、今、ということなのか。
何だか、わかりにくいまとめになってしまった。
花粉のせいで、目や、体のあちこちが痒い。同じく花粉症を患っているみなさん、気合で乗り切りましょう。今がピークで、桜の咲くころには下り坂になっているはずです。
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島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。 関連サイト:島田明宏Web事務所
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