2023年05月31日(水) 18:01
▲内田騎手が騎手仲間から慕われる理由とは?(撮影:下野雄規)
当時19歳だった佑介騎手と内田騎手の追い比べになった18年前のとあるレース。当時から追い比べになったら負ける気はしない自信があったと話す内田騎手の気迫に負けたと痛感し、そのレースは佑介騎手が変わるきっかけになったそう。内田騎手のストロングポイントでもある“追い比べ”についてお話しを伺いました。
そして後半は内田騎手の人柄の話に。普段はライバルであるはずの他の騎手たちを「仲間」と呼ぶ内田騎手の仕事への姿勢から、レースを見守る騎手ルームで「内田さんコール」の大合唱が起こる所以を垣間見ることができました。
(取材・構成=不破由妃子)
佑介 実は僕、内田さんがきっかけになって、力を入れ始めたことがあるんですよ。
内田 えっ? なんでしょう(笑)。
佑介 デビューして2年目にハートランカスターという馬で東京の新馬戦(2005年10月16日)に乗りに行って、直線で内田さんと追い比べになったんです。僕は当時19歳ですからね、体力もバリバリにあったはずなんですが、内田さんの気迫に追い負けて…。
──結局、内田さんが騎乗していたクラシックスタイルが勝って、ハートランカスターはクビ差の2着でした。
▲クラシックスタイル(内)とハートランカスター(外)の追い比べ(撮影:下野雄規)
佑介 手応えは僕の馬のほうがよかったので、正直、馬が負けたというより、僕が内田さんに気迫負けしたというレースでした。だからすごく印象に残ったし、「これじゃあダメだな」と思って、そこからさらに体力トレーニングに力を入れるようになったんです。
内田 そのレースは映像を見ないと思い出せないけど、当時は人一倍、数多くのレースに乗っていたからね。体力には自信があった。突き抜けられたら勝てないけど、半馬身差くらいだったら追い負けしないなという自信だけはあったと思います。
佑介 それは一緒に乗っていてすごく感じました。逆に僕は、途中で前に出られたときに「あ、ダメだ」と思っちゃったんですよ。それくらい、内田さんの気迫がすごかった。あんまりないんですけどね、そういうことって。
内田 追い比べになったときは、「負けるわけがないだろ」と念じながら追っているから。その思いと、人一倍、馬に乗ってきたという自負が自分のなかに沁み込んでいる。だから、今でも若い子に言われますよ、「内田さんは早く捕まえないと!」って。
佑介 まだまだ体力もあるし(笑)。
内田 冗談で「早すぎるんだよ!」とか言ったりしているけどね(笑)。
──今でも体力には自信がありますか?
内田 追い比べになったら負ける気はしないです。
──今年の7月で53歳。鉄人ですね。そういえば、武豊さんが50代のジョッキーをまとめて「5爺」って言ってましたけど…(熊沢重文騎手、小牧太騎手、柴田善臣騎手、武豊騎手、横山典弘騎手)。・・・
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JRAジョッキーの藤岡佑介がホスト役となり、騎手仲間や調教師、厩舎スタッフなど、ホースマンの本音に斬り込む対談企画。関係者からの人望も厚い藤岡佑介が、毎月ゲストの素顔や新たな一面をグイグイ引き出し、“ここでしか読めない”深い競馬トークを繰り広げます。
藤岡佑介
1986年3月17日、滋賀県生まれ。父・健一はJRAの調教師、弟・康太もJRAジョッキーという競馬一家。2004年にデビュー。同期は川田将雅、吉田隼人、津村明秀ら。同年に35勝を挙げJRA賞最多勝利新人騎手を獲得。2005年、アズマサンダースで京都牝馬Sを勝利し重賞初制覇。2013年の長期フランス遠征で、海外初勝利をマーク。2018年には、ケイアイノーテックでNHKマイルCに勝利。GI初制覇を飾った。
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