netkeiba.com

野元記者が選ぶ! 後世に語り継ぎたい“平成の競馬史”トップ5

2019年04月22日(月) 18:02

「平成」時代も残りあと8日となった。筆者は基本的に元号を使用しない立場だが、この30年と4カ月足らずの間に、日本の競馬界に途方もない変化の波が押し寄せたことも事実だ。本稿では、この時期にあった幾多のレース、事件から個人的に5件を選び、それぞれの案件の歴史的意味を振り返ってみる。


【5】オグリキャップ 有馬記念で引退飾るV (1990・12・23)


教えてノモケン

▲平成を代表するスターだった人馬 (C)netkeiba.com


 1990年末と言えば、日本のバブル経済が天井を打ってちょうど1年だが、社会の浮ついた雰囲気は続いていた。競馬界が右肩上がりの成長に沸いたのも、こうした雰囲気に支えられていた。当時を象徴するのがオグリキャップと武豊。オグリキャップは88年に岐阜・笠松から中央に移籍し、多くの名勝負でファンを魅了した。武豊は87年のデビューで2年目(昭和63年)にGI(菊花賞=スーパークリーク)制覇、3年目(平成元年)に早くも最多勝となった。

 今振り返っても、この人馬が平成を代表するスターだったことは間違いない。その後も名馬は次々に現れ、武豊の樹立した記録の多くは、クリストフ・ルメールの手で昨年、書き換えられた。だが、社会的な影響力は別問題だ。90年のJRAの売り上げは前年比21%増で初めて3兆円の大台を突破。ここから4兆円まで7年を要しただけ。オグリキャップの余熱と武豊の活躍抜きにはあり得ない。

 オグリキャップには笠松で安藤勝己など3人が、中央では6人が騎乗したが、武豊は90年の安田記念(優勝)と有馬記念の2回乗っただけ。武の認識は「難敵」だっただろう。だが、90年秋の2戦で惨敗を喫した後、再度のコンビ結成。17万7779人という中山としては空前の観衆の前で、好位から抜け出し、曲折の多かった競走生活の大団円を飾った。

 実は筆者はこの場面を現場では見られなかった。出張で任地の長野から東京に来ていたが、当日はテレビ観戦だった。取材で現場を踏んだのは翌年のジャパンCが最初だったが、前年の熱はなかった。専業になった97年には、斜陽産業化の影が忍び寄っていた。

 武豊は競馬界のアイコンとしての地位を固め、トップ騎手の座を20年守った。オグリキャップは種牡馬として成功できず、地方競馬が衰退の前に送り出した最後のスター馬として、競馬史にその名を残すことになった。・・・

続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

登録済みの方はこちらからログイン

コラムテーマ募集

このコラムでは、コラムニストに解説してほしいテーマを募集しています。
競馬で気になっている話題を、下記フォームからお寄せください。

関連情報

関連カテゴリ

野元賢一

1964年1月19日、東京都出身。87年4月、毎日新聞に入社。長野支局を経て、91年から東京本社運動部に移り、競馬のほか一般スポーツ、プロ野球、サッカーなどを担当。96年から日本経済新聞東京本社運動部に移り、関東の競馬担当記者として現在に至る。ラジオNIKKEIの中央競馬実況中継(土曜日)解説。著書に「競馬よ」(日本経済新聞出版)。

このコラムの更新通知を
受け取りますか?

お気に入り

このコラムの更新通知を
受け取りますか?

お気に入り

すでにお気に入りに登録しています。

登録済み

新着コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング

コラムを探す

更新スケジュールから探す

カテゴリから探す