1997年帝王賞覇者コンサートボーイが30歳で死亡 90年代後半に活躍した南関東の英雄

2022年11月09日(水) 15:39

船越牧場で余生を送っていたコンサートボーイ(ユーザー提供:かずきさん)

 1997年の帝王賞や1998年の東京記念などに優勝し、90年代後半の南関東競馬で活躍したコンサートボーイが11月8日、死亡したことがわかった。30歳だった。9日にジャパンスタッドブックインターナショナルのホームページ、並びに大井競馬のリリースで発表された。

的場文男騎手のコメント】
「根性があった馬でよく走ってくれました。アブクマポーロバトルラインを抑えて優勝した帝王賞は思い出深いです。お世話になりました。思い出の1頭です」(大井競馬のリリースより)

 コンサートボーイ父カコイーシーズ母コンサートダイナ、母の父ハンターコムという血統。

 1994年に旭川競馬場でデビューし、同年の冬に南関東競馬へ移籍。翌1995年の京浜盃黒潮盃羽田盃東京ダービーでいずれも2着に好走し、古馬入り後の1996年2月から重賞を3連勝。同年11月の東京記念、12月の東京大賞典で2着となった。

 1997年5月のかしわ記念(※当時は交流GIII)では中央所属の強豪馬バトルラインから5馬身半差後方の3着で入線。巻き返しを期して迎えた6月の帝王賞では、バトルラインおよび南関東競馬で伝説的な成績を残すアブクマポーロと対決。レースでは3番手の位置からバトルラインを4コーナーで交わし去ると、驚異的な追い上げを見せたアブクマポーロを振り切ってタイトルを獲得した。

 この時点で地方競馬の総収得賞金が4億2575万円となり、当時の地方所属馬における歴代賞金1位となった。その後は脚部不安により10ヶ月の戦線離脱を余儀なくされ、復帰後は南関東二冠馬サプライズパワーとの激戦を制して1998年の東京記念を制覇、同年の東京大賞典アブクマポーロメイセイオペラに次ぐ3着入線を果たし、2000年1月31日、6年半の競走生活に終止符を打った。

 現役引退後は種牡馬となり、種牡馬引退後は生まれ故郷である船越牧場の功労馬として余生を送っていた。

(ジャパンスタッドブックインターナショナルのホームページ並びに大井競馬のリリースによる)

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