元JRA騎手が東京パラリンピックへGO!

2019年10月13日(日) 23:57 3 7

落馬事故により引退を余儀なくされ、「パラ馬術」に転向した元JRA騎手の常石勝義さん(42=明石乗馬協会)は現在「2020東京パラリンピック」に向け、奮闘中だ。


「国内では今年最後の大きな大会。1点でも多くポイントを加算しないといけませんよね」

花の12期生として96年に騎手デビュー。以来嘆かわしいまでの困難と闘ってきた。この年8月、最初の落馬。2004年8月、2度目の落馬で死の淵をさまよい、07年2月に高次脳機能障害のため引退。

13年からパラ馬術を始めたが記憶障害と左半身の麻痺は解消されたわけではない。そんな中、その年の9月、まるで運命だったかのように東京五輪開催が決定。持ち前の楽天家はテレビの前で「オレ、ここに行くしかないやん」と言い放った。

だが競技の難しさに加え、正直言って何かと費用がかさむ。好成績を収めるためには乗りこなして愛馬との関係を深める必要があり、現在は国内にヴェスレイS(牝21歳)、本場ドイツにトムソングラマー(牝11歳)をリース契約。馬の維持費や遠征費などを捻出するため「自分の家を売ってでも」と覚悟を決めている。

「いいスポンサーさんが見つかるとうれしいんですけどね。そのためにも頑張らなきゃ」

パラ馬術は96年アトランタ大会から正式種目となり、人馬の一体感や美しさ、正確さを競う。障がいの程度に応じ5段階に分かれ、最も重いのがグレード1。常ちゃんは今年、グレード4から3になった。母・由美子さんは「少し有利になった反面、新たなコースを覚えないといけないので大変です」と話す。

競馬と馬術の違いにも戸惑った。スピードが上がると昔取った杵柄でついつい前傾姿勢に。「よく注意されています」

落馬した1年後の97年、タケイチケントウで重賞初制覇。因縁の場所での初重賞に何人がもらい泣きしたことか。

03年にはビッグテーストで中山グランドジャンプ、オースミコスモで関屋記念を勝った。通算82勝。だが、その数字以上に競馬ファンの心に刻まれている。

「レースは辞めたけれど馬に乗れる。パラ馬術、東京パラリンピックは生きる証しです。最強ライバルはオレの脳。負けませんよ」

失ったものは少なくないが、チャレンジ精神とアスリートとしての矜持は失っていない。4人の代表枠へあと一歩。聖火ランナーも狙っているが、もちろん日の丸を背負って夢の大舞台に立つつもりだ。

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