宮路満英さん 夫婦愛で目指す東京パラ馬術

2020年11月29日(日) 21:09 0 0

 第4回全日本パラ馬術大会最終日


 自由演技課目が行われ、5段階のクラス分けで障がい2で、16年リオデジャネイロ・パラリンピックに日本勢で唯一出場した宮路満英(63=リファイン・エクインアカデミー/セールスフォース・ドットコム)が出場。

 ここまで団体課目、個人課目で2冠を達成していたが、最終日で4組中4位に沈み、「ダメだった。楽しく行こうと思ったのに、全然楽しくなかった」と肩を落とした。同クラスは大川順一郎(60=蒜山ホースパーク/鳥取大学乾燥地研究センター)が得点率63・122で優勝した。

 人生のそばには、常に馬がいた。元々はJRAで調教助手をしていた宮路だが、2005年に脳卒中で倒れ、右半身まひの後遺症が残った。何か新しいことがしたい。その思いから翌年にはハワイ・ホノルルマラソンに歩いて出場し、13時間かけてゴールするなどしたが、何かが足りない。そのときにリハビリを兼ねて再び馬と触れあい、パラ馬術の世界に飛び込んだ。

 「馬がいなかったら、やろう!という気持ちに今はなってないですね」

 ずっと支え続けてきたのは、妻の裕美子さんだ。高次脳機能障がいなどで記憶に難のある選手は、馬場の外から声でコースを知らせる「コマンダー」を付けることができる。私生活はもちろん、試合でもコマンダーとして、サポートを欠かさない。裕美子さんは「障がいを負ったときはショックだったが、今ここ(馬事公苑)や、16年のリオに行けたのはこの人のおかげ。これからも頑張ってほしい」と夫婦愛を示した。

 来夏の祭典に出場することになれば、代表最年長の選手になる可能性もある。「リオでは失敗して11位。気持ちとしては、もっと上を目指していきたい」。不屈の精神で、最後まで駆け抜け続ける。

 ▽パラ馬術 肢体不自由、視覚障がいの選手による男女混合の馬場馬術。障がいの程度によって5つのクラスに分けられ、数字が小さい方が障害が重い。演技の正確性と芸術性を競い、個人課目、団体課目、自由演技課目の3種目が実施される。

 ◆宮路 満英(みやじ・みつひで) 1957年10月29日、鹿児島県出水市出身の63歳。1980年栗東トレセンに入り、宇田厩舎や森厩舎へ。98年に仏G1モーリス・ド・ゲスト賞を勝った名牝シーキングザパールなどに関わる。16年リオデジャネイロ・パラリンピック11位。

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