人間関係がとても密だった「高松一門」

2021年06月15日(火) 20:10 0 1

 高松邦男元調教師が4日、亡くなった。私が競馬を見始めた頃、高松厩舎といえば関東のトップステーブル。その後藤沢和師、角居師、堀師が台頭してきた時のように次々と新しいことを取り入れ、異端児のような人だった。

 ただ最近の若い調教師と異なるのは、父親の三太調教師が預かっていた個人馬主を大切にしたこと。社台グループの総帥、吉田善哉さんの依頼を断ったことは、競馬サークルでも逸話になっている。

 父の弟子で一歳下、兄弟のように育った柴田政人騎手とのコンビで、次々と大レースに挑んだ。一番はキョウエイプロミスで、その頃までは日本馬では相手にならなかったジャパンCに参戦、スタネーラの頭差2着に迫った。また日本ダービー3着だったホワイトストーンは430キロ台だった馬体を「千代の富士みたいにしたかった」と徹底的な肉体改造をはかった。プラス16キロ、見事なほどマッチョに変身して出てきたセントライト記念を快勝した時は、ファンも衝撃を受けた。

 世界に通用する馬を作りたいと、北海道にファンタストクラブという育成場を設立したのも高松師だ。資金繰りで苦しくなり、1990年代半ばから成績は低迷したが、同クラブはその後に藤沢和調教師が利用し、世界挑戦の志を受け継いだ。

 所属騎手の多い厩舎としても知られた。柴田政人、田面木博公、小野次郎、中谷雄太…。苦しい厩舎経営から晩年はいろいろあったようだが、厩舎が勝てなくなってからも2005年まで、3騎手(柴田騎手は95年に引退)は所属していたから、弟子たちも師匠を見放して出ていけなかったのではないか。ちなみにこの日、ザダルでエプソムCを勝った石橋騎手は、柴田政人調教師の弟子で、石橋騎手も高松厩舎所属の先輩たちのように、デビューから13年間も柴田厩舎に所属した。人間関係がとても密だった「高松一門」を感じた1日となった。

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