ヨカヨカ生産者 どん底を救った馬がいた

2021年09月11日(土) 07:18 0 5

ヨカヨカが生まれた熊本の牧場を訪れ本田土寿さん(60)を直撃。九州で生産者を目指した経緯やこれまでの道のりなどについて話を聞いた。(聞き手・関俊彦)


 ―1代で牧場をここまで成長させた。どういう経緯で始めたのか

 「小さい時は西部劇を見るのが好きで、将来は本気で(映画の)『荒野の七人』みたいなカウボーイになりたいと思っていました(笑)。それで農家をやっていたおやじに馬を買ってくれと毎日せがんでいたら、小学4年生の時に1頭の農耕馬を買ってくれました。高校生になった時にその馬を売って金沢競馬場にいたアラブ種のメルシヤンって牝馬を買って、裏の竹山から竹を切って牧柵を作ったりしているうちにどんどん牧場がやりたくなってきて、高校卒業する時におやじにせがんで始めたのがきっかけです」

 ―最初からサラブレッドの生産を?

 「ばん馬(農耕馬)がメインで、将来お肉になる馬も肥育したりしていました。熊本では昔から馬肉は有名ですからね。でもそのころから中央競馬のオーナーブリーダーになりたいっていう夢もあって、20歳過ぎにサラブレッドの生産を本格的に始めました」

 ―そこから順調に牧場を続けていったのか

 「実は平成6(1994)年にいろんなことが重なって牧場を全て手放しました。手元に残ったのはサラブレッドとアラブの計5頭だけ。それでも清和村(現・山都町)とか場所を転々として生産は続けました。清和村は星がきれいに見える場所なんですが、軽トラの荷台に畳を敷いて、『このままでは終わらんぞ』って星を見上げていましたね。地元の牛舎を間借りして生産させてもらった時もありましたが、そんな時にマイネルマリク(父サンキリコ)が生まれました」

 ―マイネルマリクが一つのきっかけに?

 「思い切って(2002年10月に)当歳馬を北海道に連れて行ったら、マイネルの岡田(繁幸)さんが420万円で買ってくれたんです。当時はその日暮らしでしたから、売れた時は天にも昇る気持ち。結局、マイネルマリクは3勝したんですが、中でも(2005年に荒尾競馬で行われた)たんぽぽ賞はよく覚えてます。まさか自分の生産馬が1番人気で、たんぽぽ賞に出る日が来るなんて思っていませんから。パドックでガチガチに緊張してたら、鞍上の幹夫ちゃん(松永幹夫・現調教師)から『落ちないように乗ってきます』なんて言われたのが懐かしいです」

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