木幡家に特別な3・11父初広揺るがぬ思い

2018年03月06日(火) 21:48 0 2

東日本大震災から丸7年を迎える。木幡初広騎手は福島県南相馬市原町区出身。実家は津波、原発事故による甚大な被害を受け、昨年解体された。かつて出場した伝統の相馬野馬追、そして今も深く震災の爪痕が残る故郷に思いをはせた木幡騎手。自身と同じ騎手である長男・初也、次男・巧也、三男・育也の3人の息子と共に3・11は全力で被災者に寄り添う。

長男が生まれた23年前の夏、相馬野馬追に出場した自らの姿を見つめながら、木幡は変わり果てた故郷を思い起こした。

「実家を取り壊したと姉から連絡をもらったので昨年暮れに見に行ったんです。周辺は更地になって何もなくなっていた」

南相馬市原町区にあった実家は津波の影響で太田川が氾濫し浸水した。原発から20キロ圏内だったため警戒区域に指定され立ち入りも制限。故郷の風景は消えていた。小中時代に父の初身さんと共に預託馬の追い運動を続けた放牧場、家族総出で稲刈りをした1ヘクタールの水田…。

「実家は当時、高崎や足利に所属する10頭前後の馬を預かっていて馴致から育成、休養中の調教までやった。馬乗りも父に教わったんです。馬に使うワラも脱穀した後に家族みんなで乾かした」

7年前の悪夢は脳裏から離れない。当日、損傷が激しい中山の調整ルームには入れず、ガードマン室でニュース映像を見た。実家に電話をかけたが翌日までつながらなかった。5日後、大型免許をもっている木幡は知人から借りたマイクロバスで初也とともに福島へ。実家から70キロ内陸部にある本宮市に避難していた両親と姉妹家族、隣人ら14人を迎えに行った。

「大渋滞で美浦に戻るまで往復15時間かかったかな。2、3週間は自分の家族5人と合わせて20人近くで暮らした。岡部幸雄さんら騎手仲間や知り合いが食料など送ってくれて…人の温かさを感じた」

世田谷の騎手養成所に入るため福島を離れてから30年ぶりとなる両親との生活。長くは続かなかった。4カ月後の7月に父を病で亡くした。母・久子さんは「父が亡くなった後に老いが来て」と老人施設に入った。

「でももっと被害が大きかった人や困っている人はたくさんいる。放射能の高い地域に住んでた姉妹家族は自宅に戻れたが、今も仮設住宅で暮らしている人は多い」

野馬追に出た23年前の写真を見つめながら木幡はつぶやいた。
「故郷はなくなったが乗り役をやめたら、また相馬野馬追に出たい」

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