2014年07月07日(月) 12:00 169
※このインタビューは、今年の6月20日に取材しました。
◆「何で自分はジョッキーをやっていたのか」
赤見 今も入院されていると聞いて驚きました。
佐藤 そうなんです。外出は自由にさせてもらっているんですけど、もう1年半、ずっとですね。
赤見 今の様子というのはいかがですか。
佐藤 今の様子は…暇です(苦笑)。骨折の箇所は早くに良くなったんです。「数か月は歩けないでしょう」って言われていたのですが、2か月ぐらいで立てるようになって。骨折というのはある程度何とかなるんですが、今回のように神経を損傷すると、自分ではどうしようもないんですよね。いつもなら主治医の言うことを聞かずにリハビリするんですけど(笑)、今回ばかりは指示に従うのが最善。その辺がもどかしいんですが、うまく行っているみたいなので、頑張っているところです。
赤見 手術を何回かに分けて行ったそうですが、それはもう終わったんですか?
佐藤 終わりという話だったんですが、もう1回あるらしいです。「もう手術はない」って言って、次に行ったら「やっぱりやります」って言うんですよ。嫌でしょう(笑)? 左腕に筋肉や神経を移植しているんですが、動かせない時期に死んでいる筋肉が巻きついて、癒着しているらしいんです。そのまま邪魔している状態で硬くなると、先々おじいちゃんになった時に、元気な筋肉が負けてしまうみたいで。今回はそれを取る手術なんです。この手術が復帰を早めるというわけではないですが、後々のために受けることにしました。それほど大きな手術ではないんですけどね。最初の手術が23時間かかりましたから、それに比べると5、6時間の手術なので。
赤見 以前にも、大きな怪我を経験されていますよね。(※2007年前半に、落馬で肩甲骨を骨折)
佐藤 あの時も大変でしたね。診断当初は「一生肩が上がらないかもしれない」と言われて。それでも、自分ではたいした怪我ではないと思っていたから、1キロくらいのダンベルを持ったりしていたんです。そうしたら、リハビリの先生に「止めてください!」って怒られて。レントゲン写真を見せてもらったら、たしかに大変なことになっていたんですね。これはちゃんと言うことを聞きながら治さなきゃダメだなと。
赤見 かなりのスピード復帰でしたよね。
佐藤 早かったですね。3か月半ぐらいで戻ったと思います。さっきも言ったように、骨折だったらある程度自分で何とかなるんですよね。それでも、この時は復帰レースも落馬した時と同じ同じ京都だったので、坂を下って直線を向いてその場所を通り過ぎるまでは不安でした。落ちた時も意識があって全部覚えているので、そこを過ぎるまでは怖かったんです。でも、今回の怪我はさすがに、「もうジョッキーは嫌だな」と思いましたね。「何で自分はジョッキーをやっていたのかな」「今までもどこかで辞めるタイミングがあったんじゃないかな」と、いろいろと考えてしまったり。
これまで僕が目指していたのは“一流のホースマン”ではなくて、言葉は悪いかもしれないけど、“一流のギャンブルレーサー”なんですね。“競馬”で認められるジョッキーでいたいと。だから、人とはちょっと違う愛馬精神というのもあるんですけど。ずっとそういうところを目指してやってきて、いい経験もたくさんしましたけど、今回はそれすらも忘れてしまうくらい。腕も1年以上動かなかったですからね。今では、少しですが反応も出てきて、その変化がうれしかったりもするんですが、当時は、腕はパンパンに腫れていて紫色をしていて、すごい状態だったんです。そういうのも「この先どうなるのかな」って不安でしたしね。
◆前田オーナーがいなければ今の自分はない・・・
東奈緒美・赤見千尋
東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。
赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。