2014年10月20日(月) 12:00 22
▲同期の松若騎手(中)義騎手(右)のデビューに眼帯姿で駆け付けた小崎騎手
東 ここまで順調にきている小崎騎手ですが、デビュー前に大きなアクシデントがありましたよね。調教中に眼底骨折。騎手免許交付の直前でしたから、すごく心配なニュースでした。
小崎 2月19日のことだったので、3月1日のデビューには間に合わないってわかって焦りました…。追い切る前の軽い運動で馬に乗っていたんです。馬って頭を振ったりするんですけど、それが顔に当たってしまって。右目の下、ここを眼底って言うそうなんですが、ここの骨が折れてしまって、切って手術したんです。
東 傷は全然残ってないですね。お化粧で隠しているわけじゃないのに(笑)。
小崎 ホント、今の医療技術ってすごいなと思いますよね。痛みも今はまったくないですし。でも、その当たった瞬間は痛いと思いましたし、右目の焦点が合わなくなったんです。左目は普通なんですけど、右目だけ上を向いている感じで。まばたきをしても直らないし。でも、目をこすっても血はついていなくて。
東 それって、どういう状態だったんですか?
小崎 周りの人に「僕の目どうなっていますか?」って聞いたら、見る限りでは右目だけ上を向いているとかはなかったようなんですが、病院で検査したら、目はまっすぐ向いているけど、骨折して筋肉が下に落ちてしまって、動かなくなっていたそうです。
東 すごく痛そう…。
小崎 痛いだけならまだ我慢できるんですけど、その時吐き気がすごくて。骨折したときって吐き気がするんですかね? 怪我した場所が、坂路下のダグを踏むところで、あそこで速足をしている時にバーンとぶつけて、20秒ぐらいでもう吐き気がしてきて…。辛くてすぐに乗り替わりたかったんですけど、すぐには替われないので、ゼーゼー言いながらスタンドの前まで乗って帰ってきました。
東 その状態で乗って戻って来たんですか…。
小崎 はい。もう本当に気持ち悪くて、冷や汗もダラダラでした。でも、すれ違う人には何とかあいさつはしながら(苦笑)。スタンドの前で替わってもらって、そのまま倒れ込んで、すぐに病院に連れて行ってもらいました。
東 デビュー前のことですし、周りも慌てたんじゃないですか?
小崎 そうだと思います。その馬の厩舎の方も「本当にごめん、ごめん」って言ってくださって。でも、あれは僕の不注意ですから、むしろ僕の方が申し訳ないくらいでした。でもまぁ、やっぱり焦りはしましたね。デビューに向けていろいろ頑張ってきたので、そういう面では悔しかったですし。
東 まさかここで、というタイミングですもんね。病院では、どれくらい休まないとダメって言われたんですか?
小崎 2月19日に怪我してデビューが4月19日なので、ちょうど2か月だったんですけど、だいたいそれくらいと聞いていたので、ほぼ予定通りだと思います。初めの1週間は入院して、ちょうどその時、自厩舎のコパノリッキーがフェブラリーSを勝ったんです!!
東 その週末でしたもんね。最低人気での大金星で。
小崎 はい! 病室で見ていたんですけど、あの時だけははしゃぎました(笑)。コパノリッキーが兵庫CSを勝つあたりまで、調教に乗っていたんです。僕は「力のある馬だ」って信じていたので、人気は1番なかったですけど、「そんな馬じゃないのになぁ」って。まぁ、前走、前々走が全然でしたからね。「ほら、見たか!」って(笑)、入院中でもそんなうれしいニュースがありました。
東 怪我をしている間も、競馬は見ていたんですか?
▲東「怪我をしている間も、競馬は見ていたんですか?」
小崎 見ていましたし、退院してからは競馬場にも行っていました。同期の松若と義がデビューする週も行きました。やっぱりデビューは間近で見たいなと思って。同期のことは応援していましたが、・・・
東奈緒美・赤見千尋
東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。
赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。