2015年10月12日(月) 12:00 86
▲メジロドーベルで勝利した1997年の秋華賞(撮影:高橋正和)
今週末は、牝馬三冠の最終戦・秋華賞。吉田豊騎手にとっては、デビュー4年目にメジロドーベルで制している思い出のレースです。そこで今回は“騎手・吉田豊”の礎と言っても過言ではない、ドーベルとの思い出を語っていただくと同時に、紫苑Sの勝ち馬クインズミラーグロで挑む今年の秋華賞の手応えもお聞きしていきます。
(取材:赤見千尋)
(前回のつづき)
赤見 大久保先生との出会いというのは、言ってみれば偶然のめぐり合わせと言いますか?
吉田 そうですね。多分先生が弟子をとりたいなと思って、その時にちょうど僕らが競馬学校の1年生だったんだと思います。
赤見 最初に先生を見た時の印象というのは?
吉田 いやぁ…、「ものすごくおっかなそうな人だな」と…(苦笑)。
赤見 あのサングラス姿で。
▲サングラスがトレードマークの大久保洋吉元調教師
吉田 先生が競馬学校に、僕らが練習しているところを見に来たんですね。でも僕らは、それが調教師の大久保先生だなんてわからないじゃないですか。それはもう、ざわつきましたよね。「すごい人来たぞ!」「あの人は誰なんだ?」って。
その何か月後かに先生との顔合わせがあったんですけど、その時もサングラスをかけていて。しかも、声もちょっと低めでしょう。「うわ~、おっかなそうな先生だな」って。そんな出会いでした。
赤見 その先生の弟子になるわけですもんね。
吉田 考えただけで怖かったですよね。ただ僕の場合、小さい時からなぜだかそういう人が周りにいたんです。見た目が怖いと言うか、「この人の前ではシュン…となっちゃう」みたいな。
赤見 それは、どういう存在の方ですか?
吉田 まず、うちの親父がそういう感じで。サラリーマンなんですけど、土日仕事で平日休みだったんです。普段からあまりしゃべらないものだから、学校から帰って親父がいると、ものすごく気まずくて。
赤見 お父さん、かわいそう…。
吉田 今は本当に仲はいいんですけどね(笑)。あとは、中学の部活の先生も怖かったですし、競馬学校の教官にも怖い先生がいました。で、調教師の先生もそういう感じで。
まあでも、そういう環境はかえってよかったかなと思います。「こういうところはちゃんとする、こういうことはしてはいけない」というのが、自然に身についたと思いますしね。怒られないようにする、小ずるさと言うか(笑)。
赤見 厳しくしつけられる分、成長できる面も大きいですよね。
吉田 それはありますよね。そういう意味でも、運のいい出会いだったと思います。それこそ、騎手って運の部分が多いと思うんです。メジロドーベルに出会えたのがデビュー3年目ですけど、それがもし1年目だったら、多分僕は乗ってなかったでしょうし。・・・
東奈緒美・赤見千尋
東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。
赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。