2016年01月25日(月) 18:01 50
▲2015年度の年度代表馬に選ばれたモーリス(写真はマイルCS優勝時)
本稿がアップされるのは1月25日18時。ちょうど、2015年度のJRA賞の表彰式が東京都内で開かれている時間である。2014年から有力馬の引退が相次ぎ、新旧交代期を迎えた競馬界。昨年は軸の見えにくい1年だったが、JRA賞の投票結果は意外にも「無風」だった。年度代表馬には、年間でGI3勝を含む6戦全勝の快進撃を見せたモーリス(牡5、美浦・堀宣行厩舎)が、記者投票で全291票の約74%に当たる215票を獲得して順当に選出。9つの部門賞を見ても、最も票が割れると予想されたダートでコパノリッキーが過半数より1票多い147票で、投票による選出基準(3分の1)を楽に超えた。
JRA賞は毎年、メディアの代表者で構成される選考委員会を経て選定されるが、近年は同委員会でもめた例は皆無に等しい。一方で、一般のファンの中には選定の結果に必ずしも納得できない向きがあるのも事実だ。JRA賞はどう選出されるか、ここで改めて整理してみる。
今さらの感もあるが、現在の表彰馬選出方法を見ておこう。選出にあたるのは全国各地の競馬記者クラブに加盟する経歴3年以上の記者と、業界団体に加盟している競馬専門紙の代表者(1社5人)。各投票者は9つの部門の代表馬を選んだ上で、うち1頭を年度代表馬に挙げる。受賞資格は総投票数の3分の1で、年度代表馬については、同じ3分の1の得票に加え、1つ以上の部門賞に選定されるのが条件。この方式が導入されたのは2000年9月。発端は直近の99年にエルコンドルパサーが年度代表馬に選定された件だった。
同馬は4歳の99年4月に渡航し約半年間、フランスに滞在。現地で4戦を戦い、凱旋門賞でモンジューとの激闘の末に2着に入ったほか、7月にGIのサンクルー大賞(芝2400m)を優勝するなど、4戦2勝2着2回の成績を残した。ところが、同年の4歳世代は競馬史に「黄金世代」と記憶されるほどで、国内でもグラスワンダーが宝塚記念、有馬記念を制してグランプリ3連覇を達成。内国産馬代表格のスペシャルウィークは春秋の天皇賞を制し、ジャパンCで日本に遠征したモンジューなどを抑えて優勝。有馬記念はグラスワンダーに推定約4cm差で屈したが、年間GI3勝。例年の年度代表馬級の活躍だった。
では、選考はどうなったか。212人が投票したが、最優秀5歳以上牡馬(当時)、年度代表馬ともに票は三分された。部門賞はスペシャルウィークが83票で最も多く、エルコンドルパサーは73票、グラスワンダーが56票。年度代表馬はエルコンドルパサーが部門賞より1票少ない72票で残る2頭は同じ票数。エアジハードが1票だった。当時の規定は、過半数を選定の条件としており、部門賞、年度代表馬とも選出には至らず、選考委員会の審議に付された。委員会の構成を現在と比較すると、各記者クラブや専門紙業界団体の代表者数と同じ8人だが、理事長推薦枠1人(大坪元雄氏=評論家)とハンディキャッパー2人が加わっており、全体では11人だった。
長時間に及んだ審議の末、まず2頭連記の形で3頭から2頭に絞り込む投票を行った。その結果、エルコンドルパサー10、スペシャルウィーク9、グラスワンダー3でグラスワンダーが脱落。その上で、年度代表馬の位置づけについて「最強馬か年間の貢献度か」と言った問題や、エルコンドルパサーが選定された場合、得票で比較優位の馬が受賞できなくなる問題が指摘されるなど論議は続き、結局は2頭を対象に決選投票を実施。7対4でエルコンドルパサーが選定され、選に漏れた2頭には特別賞を授与することになった。
この結果への反発は大きかった。スペシャルウィークに投票した側からすれば、結果が覆ったのが不満なのは当然だった。また、記者投票には関与しないハンディキャッパーが表決に加わったことも問題視された。ただ、もめた背景には、こうした手続き上の問題に加え、投票者の間で「年度代表馬とはいかなる馬か」について、共通認識がなかったことが大きい。・・・
野元賢一
1964年1月19日、東京都出身。87年4月、毎日新聞に入社。長野支局を経て、91年から東京本社運動部に移り、競馬のほか一般スポーツ、プロ野球、サッカーなどを担当。96年から日本経済新聞東京本社運動部に移り、関東の競馬担当記者として現在に至る。ラジオNIKKEIの中央競馬実況中継(土曜日)解説。著書に「競馬よ」(日本経済新聞出版)。