2016年03月22日(火) 18:01
白毛といえば、白地にブチ模様のブチコ(牝4・音無秀孝)が大人気だ。前走で1600万条件の上総Sに優勝してオープン入りし、今後重賞路線での活躍が大いに期待されるところだ。ブチコの白毛は、母シラユキヒメから受け継いだもの。昨年までに誕生したシラユキヒメの11頭の産駒のうち、9頭が白毛とその遺伝力はかなり強烈だ。
しかし日本には、ブチコのように母系ではなく、父系から引き継がれてきた白毛の系譜がある。
1979年5月28日、北海道浦河町の河野岩雄さんの牧場で、不思議な毛色の馬が生まれた。父は黒鹿毛のロングエース、母は栗毛のホマレブル。両馬の間に生まれたその仔馬は、四肢が白く、胴体は白地にところどころが茶色という、誰も見たことのない毛色だった。やがて白毛が新たな毛色として認定されると、日本初の白毛馬誕生というニュースが日本中を駆け巡り、大きな話題となった。
▲黒鹿毛の父と栗毛の母から生まれた日本初の白毛馬ハクタイユー(写真:猪木淑郎)
無事成長した白毛馬はハクタイユーと名付けられて、美浦の吉野勇厩舎の管理馬となった。デビュー戦は1982年2月28日。白毛馬が初めて走ると注目を集めたものの、9着に敗れた。その後も勝ち星には及ばず、中央では4戦未勝利で道営競馬へと移籍したが、結局未出走のまま引退している。
現役を退いたハクタイユーは、白毛の遺伝子を遺すべく、競走馬時代からのオーナーが経営する北海道平取町の北島牧場で種牡馬入りする。種牡馬業と並行して同町の義経神社で神馬という役割も担った。
種牡馬としてのハクタイユーは、白毛馬を輩出という大役もしっかりと果たした。1991年にアングロアラブのウインドアポロッサとの間に、白毛のミサワパールが誕生する。この馬が日本で3頭目の白毛馬だ。実はハクタイユー誕生の4年後の1983年、白毛のカミノホワイトが生まれており、この牝馬が日本で2頭目の白毛馬であった。カミノホワイトはのちにハクタイユーと交配され、1993年に白毛の牡馬、ミサワボタンを出産した。後にも先にも白毛同士の配合によって生まれた白毛はこの馬のみだ。
1994年には、ウインドアポロッサが再び白毛の仔馬を産み落とした。ハクホウクンと名付けられたこの馬は、大井競馬場でデビューし、8戦目に初勝利を挙げた。これが日本における白毛馬の初めての勝利ということもあり、翌日にはスポーツ紙の一面を飾った。ハクホウクンは、のちに2勝して通算32戦3勝の成績で引退している。ちなみにハクホウクンの全妹ホワイトワンダーも、上山競馬場で1着となり、日本で2番目の白毛による勝ち馬となった。
▲ハクタイユーの息子ハクホウクン、日本で初めて競馬で優勝した白毛馬
日本で初めてレースで優勝した白毛のハクホウクン(セン22)は、現在千葉県成田市のインターアクションホースマンスクールで健在だ。
およそ7年前、スクール創設が決まって態勢を整え始めた時期に、ハクホウクンは、牡のハクバノデンセツ、牝のハクバノイデンシという3頭の白毛馬とともにやって来た。ハクバノデンセツとハクバノイデンシの2頭は、ともに父がハクホウクン、母はフラッシュリリーと全兄妹であり、初代白毛馬ハクタイユーの孫にあたる。
▲(上)ハクホウクンの息子のハクバノデンセツと、(下)娘のハクバノイデンシ
「当時スタッフは3人だったのですが、僕が(ハクバノ)デンセツで、他の2人がそれぞれハクホウクンと(ハクバノ)イデンシと、1人1頭ずつ白毛を担当して、学校の生徒たち用の馬として調教をしていました」と、当スクールの教務主任・腰越将樹先生。
その過程で、ハクホウクンとイデンシが馬術の競技会に出場し始めた。
「ハクホウクンが馬場馬術競技のA2課目で、イデンシが70〜80センチの障害飛越競技でした。その後にデンセツも出始めました。とにかく、どの馬もうるさいんです(笑)。競技会場で大人しくしていないですしねえ。真っ白で芦毛とも違うので、競技場では目立ちますし、周りからも注目されましたよ。
特にデンセツは種牡馬にするつもりで、去勢していなくて牡馬のままだったんですよね。だからなおさらうるさくて、手は焼きましたねえ。曳き馬はうるさいですし、物見もしますし…。でも障害はとても上手に飛越しますし、手入れはとても大人しいです。毛刈りでバリカンを使っても、鎮静剤を打ったり鼻ねじをかけなくても、じっとしています。競技会に行った時に、デンセツの厩務員の身内という人に偶然出会ったりもしました。デンセツはピーク時で550キロくらいあった馬なので、外国の大きな種類の馬と間違われました(笑)。今は去勢していますけど、牡馬だと体付きもごついですからね」(腰越先生)
ある時ハクホウクンは、ハクバノイデンシが生んだ自分の孫が目の前を通ったのを見て、驚いたことがあったという。
「毎日その孫は(ハクホウクンの)前を通っているのに、なぜかその時にビックリして転んでました(笑)」
孫というのは、昨年アドマイヤジャパンとハクバノイデンシの間に生まれた牡馬だ。やはりアドマイヤジャパンを父に持つ1つ上の兄は白毛で生まれているのだが、この弟は栗毛。自分の血を引く孫が栗毛だと初めて気づいて、転倒するほど驚いたのかもしれないと想像した。
▲(上)ハクバノイデンシの2014は白毛なのに、(下)全弟のハクバノイデンシの2015は栗毛
「ハクホウクンは、除草剤の噴霧器も嫌いですね。その他にもいろいろな癖と言いますか、不思議なところがたくさんあるのが白毛です」(腰越先生)
種牡馬としても白毛馬輩出に一役買い、競技馬としても活躍したハクホウクンだが、今は競技も引退して功労馬として悠々自適の毎日だ。
「乗らなくなって3、4年ほどでしょうかね。現在は健康のために運動をしています。放牧して、たまに調馬索で回して運動させて、ご飯食べて、ちょっと暴れて(笑)、という感じです。おじいさん、ともかく元気、元気(笑)。最初から白いですから、いつからおじいさんなのかもよくわからないですけど(笑)」(腰越先生)
やはり、講師の立花夏希さんにとってもハクホウクンは、かけがえのないパートナーでもあるようで「言葉では言い表せない可愛さがあります。特にビビりなのに強気なところが、すごく可愛いです」と顔をほころばせた。
日本で初めて競馬で優勝したハクホウクン。父ハクタイユーから続く白毛の遺伝子は、決して太くはないが現在もなお受け継がれている。そしてインターアクションホースマンスクールで講師をつとめる猪木淑郎獣医は、当歳時のハクタイユーを偶然写真に収めている。それから20年近い時を経て、ハクタイユーの産駒や孫たちのいる場所で仕事をしているのだ。その運命の不思議を、猪木獣医も感じているようだった。(つづく)
インターアクションホースマンスクール
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千葉県成田市横山204-48
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佐々木祥恵
北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。
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