2019年01月17日(木) 12:00 55
「正月休み」と言うと語弊があるかもしれないが、1月5日と6日の正月競馬に参加しなかったクリストフ・ルメール騎手とミルコ・デムーロ騎手が、先週、今年の競馬の「乗り初め」をした。
2人は、「初日」の1月12日こそ未勝利に終わったが、ともに13、14日の2日間で5勝し、早くもリーディング上位に名を連ねている。しかも、デムーロ騎手はグローリーヴェイズで日経新春杯、ルメール騎手はラストドラフトで京成杯を優勝するなど、相変わらず、見事な手綱さばきを見せている。
JRAに海外渡航届を提出して日本の競馬を休むのは、これまでにも、武豊騎手をはじめ、多くの日本人騎手がしてきたことだ。が、みな、他国で競馬に騎乗するため日本の競馬をやむを得ず休む、というスタンスだった。
もちろん、乗るつもりで行ったのに、騎乗馬を得られずに終わる遠征もある。ルメール騎手とデムーロ騎手の正月競馬欠席は、手続き上、それと同種の海外渡航ということになる。であるから、別に問題はないのだが、はたして、同じことを日本人騎手がするようになるだろうか。
昨年、ルメール騎手は年間最多勝記録を更新する215勝、デムーロ騎手は153勝をマークした。彼らに匹敵する成績をおさめた日本人騎手はいなかった(戸崎圭太騎手は115勝、福永祐一騎手は103勝)ので、同様に正月競馬を休むようになるかどうかという疑問は、ひとまず置いておきたい。
ルメール騎手とデムーロ騎手は、今や日本の競馬界を代表する「日本の騎手」である。
トップジョッキーの彼らが、あとにつづく者が出やすいよう、行動規範を示すのは、ごく当たり前のことだろう。
だが、これがもし彼ら同様30代後半の日本人騎手なら、「まとまったオフのない日本の競馬のシステムに疑問を投げかけること」と、「自分のお手馬の関係者が、その短い休みのなかで仕事をつづけていること」を天秤にかけ、「同志」とともに働くことを選ぶのではないか。
ルメール騎手とデムーロ騎手は「日本の騎手」ではあるが、「日本人騎手」ではない。そんな当たり前のことを、あらためて感じさせられた。
もうひとつ、彼らはヨーロッパを拠点にしてきた騎手だ、ということを加えておきたい。
よく、競馬先進国で日本のようにまとまったオフのない国はない、とか、そんな国は珍しいと言われるが、アメリカだってそうだ。
アメリカの正月競馬にはものすごくたくさんの客が入る。以前、本稿にも書いたと思うが、西海岸のサンタアニタパーク競馬場では、正月競馬に来たファンに、駐車場の無料チケット付きのカレンダーを配布することもあって、大変な賑わいになったのを覚えている。
年末から年始にかけての番組の都合で、あるステークスが、その年の正月と年末に行われ、同じ馬が勝った、ということもあった。
と、ここまで書いて思ったのだが、もし、ルメール騎手とデムーロ騎手があれほどの成績ではなく、年間20勝や30勝ぐらい――いや、それはありえないか――年間リーディングベスト10に入るかどうかぐらいの成績に終わったとしても、同じように正月競馬を休んでいただろうか。
休んだかもしれない。が、その受け止められ方は、大きく変わっていただろう。受け止めるのは「日本人」なのだから。
それをまた考える機会が出てくるくらい、日本人騎手に頑張ってもらいたい、と、ひとりの日本人として思う。
自分と同じ国籍の人間を応援するのは、理由を考えるまでもない、当たり前のことだと思うのだが、最近は、そうしたことも言いづらい空気がある。
特に、ネットでは、ちょっと日本人贔屓や外国人批判の発言をするだけで「ネトウヨ」とくくられてしまうので、気をつけなければならない。
誤解のないよう言っておくが、私はルメール騎手もデムーロ騎手も大好きだ。私の祖国を愛してくれているし、プレーもフェアだからである。
ただひとりの日本人横綱として戦ってきた稀勢の里が現役を引退した。
横綱らしからぬ負け方を繰り返しても立ち上がり、相撲を取りつづけようとした姿には胸を打たれた。
苦しんだぶんだけ、人の心を動かす力を持った横綱だった。寂しくなるが、もう充分以上限界を超えて戦いつづけてきた。
お疲れさまでした。
島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆~走れ奇跡の子馬~』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。
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