憧れの後藤騎手が結んでくれた縁――ジョッキーになる夢を叶えた富澤希騎手

2019年06月04日(火) 18:00 78

馬ニアックな世界

▲今週から南関東(大井)での期間限定騎乗が実現した富澤希騎手

「君ならジョッキーになれる。ターフで待ってるぜ」

オーストラリアで活躍する富澤希騎手は中学生の頃、ファンレターを出した後藤浩輝騎手(当時)からそう返事を受け取りました。憧れのジョッキーからの言葉を胸にJRA競馬学校を不合格になっても夢を諦めず、単身オーストラリアへ渡りジョッキーに。すると2001年、偶然にも後藤騎手が渡豪し、同じレースに騎乗するという夢が実現しました。それから18年。残念ながら後藤騎手は40歳の若さでこの世を去りましたが、彼が結んでくれた縁は広がり続け、今週からの南関東(大井)での期間限定騎乗が実現しました。生まれ育った東京であり、かつ「いま、世界中の騎手が南関東で乗りたがっている」という場所での騎乗。

16歳でオーストラリアに渡り、ジョッキーになる夢を叶えた富澤騎手の半生と、南関東にかける思いに迫ります。

夜行バスで向かったデビュー戦

 富澤騎手が父に連れられて初めてJRA東京競馬場に行ったのは8歳の頃。目の前を駆け抜ける競走馬と騎手の迫力に釘付けになりました。

「父に『ムチの音や騎手の声が聞こえたっ!』って興奮して言ったら、父は『聞こえない』って(苦笑)。とにかく目の前を駆けていく騎手がカッコよくて、『これになりたい!』ってすぐに決めました」

 たった1日の競馬場での体験は大きな衝撃を与え、中学3年生の時にJRA競馬学校を受験。2次試験まで進むも不合格となり、高校進学後に再び受験しようとしていたところ、体重オーバーで受験は叶いませんでした。それでも夢を諦める気にはなれず、すぐにオーストラリアに渡ってジョッキーを目指しました。

 1999年、クイーンズランド州で見習騎手デビュー。

「初めてのレースはすごく田舎の競馬場で、夜行バスで8~9時間かけて行きました。興奮して眠れなかったですね。デビューして2~3カ月は毎週、レースに乗れるならどこへでも行っていましたし、若かったので移動も苦になりませんでした」

 見習騎手を卒業すると「38人くらいいたかな」というクイーンズランド州の新人騎手の中から最優秀新人騎手に選出されました。

 好成績を残すことで、他国からもオファーがかかるようになり、マカオ、韓国、中国・武漢などで騎乗。しかし、他国へ遠征するきっかけは意外にも日本での経験でした。

「シニアジョッキーになったら日本で乗ろうと思っていて、2003年に南関東(大井)で期間限定騎乗を行いました。そしたら、あまりにもオーストラリアと乗り方が違ったんです。それで、いろんな国の競馬を見てみたいと思うようになりました」

 この時、「なんで連絡してこないんだ」と声を掛けてきた1人のジョッキーがいました。

10年近く前のファンレターを覚えてくれていた後藤騎手

少し時間を巻き戻しましょう。

 富澤少年が府中で競馬の虜になり、騎手を目指していた中学生の時。彼は後藤騎手にファンレターを書きました。

「後藤さんがデビュー1~2年目の頃だったんですが、騎乗フォームがカッコよかったんです。『後藤さんみたいになりたいです。ジョッキーになるにはどうしたらいいですか?』とファンレターを送りました。そうしたら、男子中学生から届くのが珍しかったようで、返事をいただいたんです。『ジョッキーになるには体を柔らかくした方がいいよ。君ならなれるから、ターフで待ってるぜ』って。その手紙はずっと大切に持っていました」

 2001年、オーストラリア・ゴールドコーストに後藤騎手が遠征。偶然にも当時、富澤騎手は当地を主戦場にしていて同じレースに騎乗する幸運を得ました。かつてファンレターでたった一度、やり取りをしただけでしたが、ジョッキールームで挨拶をすると、「君のことを覚えているよ。名前を見てすぐに分かった。本当にジョッキーになったんだね。約束を果たしてくれてありがとう」と思わぬ言葉を掛けられました。

 一緒に騎乗したのは2つのレース。共に先着したのは富澤騎手でした。年齢もキャリアも自分より浅い富澤騎手に対し、「やっぱりここではノジー(富澤騎手の愛称)の方が先輩だな」と言ってくれたことも嬉しかったといいます。

「その時に連絡先を交換したんですが、憧れの後藤さんに自分から連絡するのは畏れ多くて、特に連絡を取っていなかったんです」

 そんな折に叶った南関東での期間限定騎乗。たまたま船橋にJRA交流レース騎乗のため来ていた後藤騎手に会うと「なんで連絡してこないんだよ」と笑って歓迎してくれました。

「それからは帰国する度に連絡させていただいて、ご飯などをご一緒させていただきました」

 残念ながら2015年、後藤騎手は40歳の若さでこの世を去りました。

 しかし当時、後藤騎手が繋いでくれた縁は今でも生きています。今回、南関東での期間限定騎乗に際し、藤田輝信厩舎所属に決まったのも後藤騎手が繋いだ縁がきっかけでした。

馬ニアックな世界

▲南関東での期間限定騎乗には、後藤騎手が繋いでくれた縁が今でも生きています

 すでに先週火曜日から大井競馬場で調教に騎乗しています。

「以前、期間限定騎乗で来ていた時に一緒に乗っていた騎手たちが調教師になったりしていました。みんな、僕のことを覚えていてくれて声を掛けてくれます。

 オーストラリアは1200m~1600mがメインで、手綱は短く持ち、ハミを掛けて急なスピードのアップ・ダウンに対応しないといけません。でも、こっちでは深いダートで、2000mとかもあります。調教では心肺機能をつくらなきゃいけないので乗り運動を長くしたり、レース中も息を入れないといけません。そういった違いがありますが、オーストラリアでは約70カ所の競馬場で騎乗し、その都度、特徴の違うコースに対応してきました。大井では1200m~1600m戦では道中、すごく変化が起きるのでその対応と、長い直線を意識して乗りたいです」

 前回の南関東での騎乗時は最優秀新人騎手に選ばれたばかりの頃で、約1カ月で36戦3勝。しかし今回は、所属するトゥーンバ競馬場で2シーズン連続リーディングを当確にし、一回りも二回りも大きくなっての帰国となります。

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▲最優秀新人騎手に選ばれたばかりの頃よりも一回りも二回りも大きくなっての帰国

「いま、南関東で乗りたいっていう騎手が世界中で増えているので、彼らに負けないようまずは10勝したいです。『来年また来てくれ』って言われるくらいになりたいですね。強者ぞろいの南関東なので、決して楽ではないと思いますが、2003年より成長していると思います。応援よろしくお願いします」

 海外をベースにしていても、母国・日本での騎乗は特別なものだといいます。憧れの後藤騎手が繋いでくれた縁に感謝しつつ、6月3日から9月2日まで南関東で期間限定騎乗の予定です。

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▲今回の期間限定騎乗で初騎乗となる6月3日大井4Rでの富澤騎手

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大恵陽子

競馬リポーター。競馬番組のほか、UMAJOセミナー講師やイベントMCも務める。『優駿』『週刊競馬ブック』『Club JRA-Net CAFEブログ』などを執筆。小学5年生からJRAと地方競馬の二刀流。神戸市出身、ホームグラウンドは阪神・園田・栗東。特技は寝ることと馬名しりとり。

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