2020年01月28日(火) 18:00
美しいポラリスの星(撮影:佐々木祥恵)
N.Uさんが愛馬として購入したダノンフェニックスの額には美しい星がある。その星と「北極星のようにぶれずに生きたい」という思いを重ねて、N.Uさんは新たに「ポラリス(北極星)」と名付けた。そのポラリスの脚の皮膚病にN.Uさんは悩まされるなど、「ぶれずに生きたい」という思いとは裏腹に、当初は紆余曲折があった。
「後ろ脚のできものが取れた後に毛が抜けて、ピンク色の地肌が見える箇所が点々となっていたので、担当のインストラクターに聞いてみると『プロテクター擦れ』だと言われました」
傷口に雑菌が入らないように脚を覆う厩舎用ブーツも購入した。日々のケアをどうするべきかわからなかったN.Uさんはいろいろな人に質問もしたが「ベビーオイルを塗る」「ヨードシャンプーで洗う」など答えも様々で、結局正解を得られないまま時間が過ぎ、飛節から下に皮膚病ができては取れ、毛が抜けては赤く炎症を起こすの繰り返しとなった。時にはその炎症で熱発をすることもあった。
「頭数を多く抱えた乗馬クラブでは、なかなか1頭1頭にケアが行き届かないのだと思い、素人ながらも馬の様子を常に観察して、自分で対処したいと考えるようになっていました」
細かなケアが難しい環境に、自分で対処していきたいとの思いが(撮影:佐々木祥恵)
そんなある日、乗馬雑誌に愛馬と一緒に暮らせる共同住宅が紹介されていたのを目にした。そこには馬場と厩舎が併設されており、乗馬を楽しむことができた。
「ここだ!とひらめいて、関東圏にあるその場所に体験入居をして、すぐに引っ越しを決めました。生まれ育った神戸を離れることには全く躊躇はありませんでした」
こうして愛馬ポラリスとともに、N.Uさんは関東圏へと足を踏み入れたのだった。
移動した先のスタッフはポラリスの馬体を見るや「良い馬」と褒めてくれた。続いて常歩や速歩、駈歩と、小柄ながらもダイナミックな動きを披露したことで「競技会に出ませんか?」と打診をされた。
「体も気も強い馬なので、いざ競技を視野に入れたレッスンを始めると、イヤなことはイヤとハッキリと意思表示をして反抗するのです。反抗すれば、さらに調教が厳しくなります。多くの馬は仕方なくそれを受け入れるようですが、ポラリスは負けじと反抗していました」
そのため調教は体罰を交え、輪をかけて厳しくなった。結果ポラリスは、すっかり人間不信になってしまった。
「繋いで手入れをしていると噛みつきに来たり、蹴ろうとしたりで、私自身が自分の馬なのに怖くて近づけなくなりました。調教をしていた方からは匙を投げられ、馬を買い替えた方が良いと言われました」
だが「ポラリスと出会った時から最期まで面倒をみる」という硬い決意があり、何と言われようとポラリスを手放さなかった。すると救いの主が現れた。
「最期まで面倒をみる」この決意は揺らぐことはなかった(撮影:佐々木祥恵)
「子供の頃から馬に乗っているという若い男性に、学校が春休みの間だけポラリスに騎乗してもらえることになりました」
その若者は、テクニックはさることながら、馬の気持ちに寄り添うことができたのだろう。
「彼の馬との接し方とノビノビ走らせてもらえたことで、ポラリスも落ち着きを取り戻して、私も以前のように騎乗や手入れができるようになりました」
だが若者の春休みが終わる頃、前肢が交互に跛行するようになった。
「前脚のつなぎの部分のレントゲンを獣医師に撮ってもらったのですが、異常なしと診断されました。装蹄師には、熱を持った蹄の裏に味噌を塗って靴下を履かせると良いとアドバイスを受けて実践しましたが、それでもすぐに熱を持つのです。結局調子の良い日だけ、駈歩はさせずに常歩と速歩をさせていました」
ポラリスの脚はなかなか改善せず、馬の整体師にも診てもらった。すると「前肢が悪いわけではなく、腰の骨がズレている」という見立てで、腰に薬を塗って指定された草を食べさせた。
「調子は良くなりましたが、ここにずっと暮らしながら技術のない私がこの先1人で騎乗していく…そう思った時に、このままではどうにもならないと考え、北関東の他のクラブに移動させることにしました」
そのクラブに往診に来ている獣医師に再度診察を受けると、股関節が悪いとの診断で、注射を打つことになった。その注射を数日置きに10回繰り返すと跛行は治まり、走りにも異常が感じられなくなった。回復して以前のようなダイナミックな動きを見せ始めると、このクラブでも「競技に出せるような良い馬」と言われ、「ジャンプもできるので、総合馬術競技(クロスカントリー、馬場馬術、障害飛越の3種目を同一人馬で競う)が向いている」との説明を受けた。
「私自身、走る姿の美しさに魅かれて自馬にした経緯もあるので、この馬の才能を引き出して競技に挑戦させてやるのが良いのか、それとも人馬の健康維持のための乗馬ライフでのんびりと過ごさせてやる方が良いのかで悩みました」
2箇所目で厳しい調教を受けて反抗した姿も気になってはいたが、その時とは調教の方法が違うかもしれない。また今回のクラブには走路や牧草の生えた場所があり、そこを走らせたり、散歩をさせて青草を食べることで気分転換もできると思い、クラブに任せてみることにした。
住居と厩舎が同じ敷地内にあった以前とは違い、N.Uさんが新たに暮らし始めた家とそのクラブは離れた場所にあったため、毎週車で通っては1泊2日で帰宅するという日々に変わった。
ポラリスにまたがるN.Uさん(提供:N.Uさん)
一方で競技に向けてのポラリスの調教も始まっていた。
「障害飛越の調教では伸び伸びとしているのですが、馬場馬術のレッスンではハミを受ける時の首の位置など、動きを厳しく制御されることに反抗するようになりました。するとさらに厳しくされて、バックをしたり尻っ跳ねをしようとするのです。そのような状況の中で、週に1度私がクラブに行くと、もうやりたくないと訴えているのか、猛烈に反発して2度落とされました」
幸い大きな怪我はなかったが、いずれも右手前の駈歩の合図を出した時に暴れたため、N.Uさんは駈歩の合図を出せなくなくなってしまった。
「ポラリスも心が荒んできたように映りましたし、自馬にしたのに1週間に1度しか会いに行けないのも寂しく感じ始めていました」
そしてN.Uさんは、自宅から通いやすいクラブへとポラリスを移動させた。それが現在のシャンティステーブルだった。
(つづく)
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佐々木祥恵
北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。
プロフィール
ダノンフェニックスの全成績と掲示板
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