2020年07月23日(木) 12:00
既報のように、1993年の菊花賞などGIを3勝したビワハヤヒデが老衰のため世を去った。30歳だった。余生を過ごしていた日高町の日西牧場で、今月21日未明、息を引き取ったという。昨秋、たてがみを切り取られる被害に遭ったが、その後は静かな環境で過ごし、馬生を全うすることができたようだ。
思い出されるのは、やはり、ナリタタイシン、ウイニングチケットとクラシック三冠を勝ち分けた1993年の激闘だ。「三強」それぞれに個性が異なり、タイシンは凄まじい爆発力を持ちながらも、小柄で神経質。チケットは総合点の高い良血のお坊っちゃま。そしてハヤヒデは、早くから風格を漂わせ、大人びた印象の馬だった。
タイシンが武豊、チケットが柴田政人、ハヤヒデが岡部幸雄と、これまた個性の異なる名手が鞍上だったことも対決を面白くした。
皐月賞前の時点では、ハヤヒデとチケットの「二強」に、タイシンをはじめとする3番手以下が挑むといった図式だった。が、タイシンが豪快に差し切ったことで確固たる「三強」となった。つづくダービーでは、チケット、ハヤヒデ、タイシンの順で1-2-3フィニッシュを決めた。
そして菊花賞。ここも三強による揃い踏みとなった。1番人気のハヤヒデが5馬身差で圧勝し、チケットは3着、肺出血からの回復途上だったタイシンはブービーの17着に終わった。
ハヤヒデは、次走の有馬記念でも1番人気に支持されたが、1年ぶりの実戦で奇跡の復活を果たしたトウカイテイオーの2着に惜敗した。
どんな条件でも必ず勝ち負けに持ち込んだが、瞬発力のある相手に勝利をさらわれることもまた多かった。この有馬まで11戦して6勝、2着5回。敗れたときの最大着差は半馬身。タイムにするとコンマ1秒。脆さをまったく感じさせない、安定した強さこそがこの馬らしさだった。
年間を通じての活躍が評価され、この年の年度代表馬に選出された。
古馬になった1994年は圧巻だった。年明け初戦の京都記念から、天皇賞・春、宝塚記念、オールカマーと4連勝。
半弟のナリタブライアンもこのときまで春のクラシック二冠を圧勝し、三冠獲得は確実と見られており、母パシフィカスの血の力を広く知らしめた。
有馬記念での兄弟対決が期待されたが、ハヤヒデは、天皇賞・秋で、勝ったネーハイシーザーからコンマ5秒離された5着に終わった。レース後、屈腱炎の発症が明らかになり、この一戦を最後に現役を退くことになった。
一方、弟のブライアンは菊花賞と、兄弟対決の舞台となるはずだった有馬記念を完勝。同年の年度代表馬となった。
このように、ビワハヤヒデは、いくつもの物語を見せてくれた名馬だった。
同じ芦毛の強豪でも、オグリキャップのように「怪物」とは言われなかった。それは好位差しの横綱相撲で、波のない、安定した強さを発揮する、言葉は悪いが没個性とも言える強さを見せつづけたからか。メジロマックイーンのように「王者」というイメージが浸透しなかったのは、頂点に君臨していた期間が旧4歳時の秋から旧5歳時の春まで(秋天でも、敗れたとはいえ、主役はこの馬だったが)と短かったからだろう。
それでも、間違いなく、ビワハヤヒデは強かった。
種牡馬としては、ハヤヒデも、また、8歳で世を去ったブライアンも、これといった産駒を残すことはできなかったが、母系の血は今なお活力を有している。
母パシフィカスの半妹キャットクイルの初仔が、1998年の桜花賞と秋華賞、2000年のエリザベス女王杯を勝ったファレノプシスだ。その15歳下の半弟が2013年のダービー馬キズナである。
今も強さを発揮している母系の力を背景にしたパフォーマンスを、ハヤヒデは四半世紀以上も前に見せてくれていたのだ。
ともにクラシックを戦い、春天でハヤヒデの2着となったナリタタイシンも、今年の4月13日に他界した。
タイシンと一緒に、天国でゆっくりと休んでほしい。
島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆~走れ奇跡の子馬~』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。
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