2021年03月25日(木) 12:00 139
またひとり、偉大なホースマンが世を去った。
「馬を見る天才」と言われ、「マイネル軍団」の総帥として知られる岡田繁幸氏が、3月19日に亡くなった。71歳の誕生日だった。
岡田氏は、1950年、北海道静内町(現新ひだか町)に、生産者の岡田蔚男(しげお)氏の長男として生まれた。1968年、日大農獣医学部に入学し、1970年に中退して渡米。帰国後、1974年にビッグレッドファームを設立。1986年にラフィアン・ターフマンクラブを創設し、牡馬とせん馬は「マイネル」、牝馬は「マイネ」の冠でおなじみとなる。「マイネル軍団」の馬は、1988年、マイネルフリッセがきさらぎ賞で重賞初制覇。1996年、マイネルマックスが朝日杯3歳ステークスでGI初制覇を遂げる。
その後、400万円で購入したコスモバルクが岡田氏の夫人・美佐子氏の名義でデビューし、地方所属のまま2004年のクラシックを賑わせた。既存の厩舎制度に疑問を投げかけ、外厩の果たす役割が注目されるきっかけをつくったと言えよう。同馬は、2006年、シンガポール航空インターナショナルカップでGI初制覇を果たしている。
時は前後するが、岡田氏が個人で所有していたグランパズドリームというサラ系の牡馬が、1986年の日本ダービーで14番人気ながら半馬身差の2着と好走した。父・蔚男氏がダービー制覇を夢見ていたことから、この馬は「祖父の夢」と名づけられた。つまり、グランパズドリームの父に当たるのが岡田氏だったわけだ。
私が岡田氏と初めて会ったのは、その5年後の1991年、テレビ朝日の「プレステージ」という深夜番組に、ともにゲスト出演したときだった。日付が変わってから朝方まで3~4時間生放送するという、今振り返るとものすごい番組だった。岡田さんと私のほか、井崎脩五郎さん、作家の高橋源一郎さん、著述家の駒木舜さん、柄崎孝調教師、イラストレーターの更級四郎さんも出演していた。
番組内でダービー予想のコーナーがあり、トウカイテイオー一色だったなか、私はひとりポツンと、コガネパワーを本命にした。
一番の理由は、好きだった田原成貴騎手(当時)が乗っていたことだ。当時はまだ成貴さんと面識はなく、一方的にファンになっていた。道中は長身を綺麗に折り畳み、直線で豪快に馬を動かす姿にシビれていた。
コガネパワーの全兄コガネタイフウも好きな馬で、同じく成貴さんが乗って阪神3歳ステークスを勝ったとき、武豊騎手のダイタクヘリオスとの枠連1630円を、珍しく一点で的中させた。
私の「◎コガネパワー」を見た岡田さんは、こう言った。
「カブラヤオーの肌にマグニテュードというのは、面白いかもしれませんね」
26歳の若手スポーツライターだった私は、この予想を鼻で笑われても仕方がないと思っていただけに、嬉しかった。
考えてみれば、前述したグランパズドリームもカブラヤオーの産駒で、グランパズドリームをダービーで2着に持ってきたのも成貴さんだった。
マグニテュードの代表産駒には、翌1992年の皐月賞とダービーを無敗で制したミホノブルボン、1999年の高松宮記念を勝ったマサラッキ、1985年の桜花賞馬エルプスなどがいる。
なお、コガネパワーは、トウカイテイオーが圧勝したダービーで、7番人気ながら4着と健闘した。
その後、ビッグレッドファームに岡田さんを訪ね、馬談義をしていたときのことだった。
私が「タマモクロスが好きでたまらなかったんです」と言うと、岡田さんはこう返した。
「これから産駒が走ってきますよ。いろいろな牧場の放牧地を見ていると、タマモクロスの当歳産駒のバネが一番いいんです」
私は、生産者がほかの牧場の放牧地で当歳馬が跳ね回るところを見ていることも、また、普段、跳んだりはねたりする動きから将来性を予測するということも、そのとき初めて知った。
どんなときでも、夢や思いをひろげる方向に導いてくれる人だった。
競馬と馬づくりに対する思いは誰よりも強く、熱かった。
「生産界のカリスマ」として、競馬界のために半世紀ほどの間、ずっと忙しく走りつづけた。
岡田さん、天国でゆっくりお休みください。
島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆~走れ奇跡の子馬~』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。
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