2021年09月23日(木) 19:00 371
▲「勝つために行きます」ブリーダーズカップへの思いとは (撮影:武田明彦)
今週は、テーマを設けて川田騎手の脳内を紐解いていく「In the brain」です。海外志向が強かったわけではないそうですが、全国リーディングで初めてトップ3に入ったことをきっかけにフランスへ行くことを決意しました。
そんな川田騎手が“特別”と明かすブリーダーズカップ。11月6日、ラヴズオンリーユーとともにその舞台へと挑みます。海外遠征での経験を振り返りつつ、自身初となるアメリカのビッグレースを前に心境を明かしました。
(取材・構成=不破由妃子)
2021年11月6日、ラヴズオンリーユーとともに、ブリーダーズカップ(BCフィリー&メアターフ、またはBCターフ)の舞台に立つことになりました。
11月といえば、秋のGIシーズン真っ盛り。帰国後の2週間の自己隔離を含め、3週間も日本の競馬を空けるということは、僕の起用を想定していた関係者の方々に多大なるご迷惑をお掛けすることになります。実際、コロナ禍になって以降、この「2週間の自己隔離」がネックとなり、ドバイも香港も断念してきました。
でも、ブリーダーズカップでの騎乗依頼をいただいたとき、僕は一切迷いませんでした。ひとりのジョッキーとして、その舞台に立ちたい。ご迷惑をお掛けしてでも、乗りに行きたい。ブリーダーズカップとは、僕にとってそういう舞台なんです。
佐賀競馬場で生まれ育った僕にとって、華やかなJRAは、ものすごく遠い存在でした。ましてや海外の競馬なんて、まるで夢物語。ですが、そんな夢のような世界があることだけは、父(佐賀競馬の元ジョッキー、現調教師の川田孝好師)が映像を通して教えてくれました。
当時、NHK BS1で放送されていた『世界の競馬』という番組があったのですが、父は毎回その番組を録画し、少しでも時間ができると、そのビデオばかり観ていました。そんな父の姿からは、「いつか乗りに行きたい」という憧れよりも、海外競馬への敬意を感じたことを覚えています。
それらの映像を一緒に観ながら、いつも言われていたのが、凱旋門賞とブリーダーズカップは特別だということ。その父の言葉は、いつしか心の奥深くに刻まれ、僕にとってもその2つのレースは特別なものになっていきました。
▲札幌記念でのラヴズオンリーユー、パドックにて (撮影:高橋正和)
とはいえ、デビューしてから人一倍、海外志向が強かったかといえば、そうではありません。2012年に1カ月間フランスに行かせてもらいましたが、あの遠征にしても、数年間にわたって断り続けた末に決断したものでした。
重い腰を上げたきっかけは、前年の全国リーディングで初めてトップ3(3位)に入れたこと。年明けに再びフランス行きのお話をいただいたとき、「周りが僕に変化を求めているのかな。もう一段、ステップアップするために、そういう機会を提案してくれているのかもしれない」と前向きにとらえ、フランスに行くことを決意したんです。
僕にとってフランスでの1カ月間は、なかなか厳しい時間でした。毎日のように競馬に乗せてもらい、数は結構乗せてもらえましたが、いい馬には乗れず、結果もまったく出せず。「俺、何しにきたんやろ…」、そう思わずにはいられない日々でした。とにかく、日本で当たり前のようにいい馬に乗せてもらっていることのありがたみを痛感した1カ月でしたね。
でも、あの1カ月の経験があったからこそ、2年後(2014年)の凱旋門賞でハープスターに乗せてもらうことができた。フランスに行った意義を見つけたこの実体験は、その後の僕にとって非常に大きなものでした。さらに言えば、ハープスターでの経験が、サトノノブレス(2017年)とブラストワンピース(2019年)の凱旋門賞にも繋がっているわけで、海外に行くことで得るものは、現地で積む経験だけではないことが今ならわかります。
繋がったといえば、2019年のシャーガーカップ(英・アスコット競馬場で行われる世界のトップジョッキーたちによるチーム対抗戦)に選出していただけたのも、前年にイギリスで8週間ほど騎乗した経験があったから。これは間違いありません。
▲「海外に行くことで得るものは、現地で積む経験だけではない」と川田騎手 (C)netkeiba.com
2018年に遠征した際、現地で度々聞いたのは、「日本のレース映像はなかなか観ることができない。JRAのホームページからレース映像に辿り着くのが非常に難しい。結局、YouTubeで映像を探して観ているんだ」ということ。イギリスでは、日本の競馬に触れる機会が圧倒的に少なく、「知っている騎手は?」といえば、(武)豊さんの名前しか出てきません。そんななか、僕が8週間乗りに行ったことで、「あ、こんなジョッキーもいるんだ」となり、翌年のシャーガーカップに呼んでいただけたわけです。
せっかくなので、これはしっかり主張しておきたいところですが、そういう現地の声を聞き、一日も早くJRAのホームページを改善する必要があると感じました。たとえば香港のレース映像は、イギリスの競馬専門チャンネルを見ていれば勝手に流れてくる。だから、香港の情報は、日本とは比べものにならないほど浸透しています。フランスギャロのホームページにしても、トップ画面の一番上の目立つところにフランス語と英語を選択できるタブがあり、そこをクリックするだけで、サイトがそっくりそのまま英語に切り替わるわけです。
JRAのホームページは、トップ画面の一番下に、ものすごく小さい字で「Horse Racing in Japan」と書かれたタブがあり、そこをクリックすれば英語版の別サイトに切り替わりますが、日本人ですら気づかないような場所にあり、ましてや外国人がそこに辿り着くのは困難だと思います。だから、JRAには現地の声を伝え、「フランスギャロのように、言語の切り替えタブを目立つところに置き、そのまま簡単に英語に切り替えられるような作りにできませんか?」という提案を何年もしているのですが、外国馬に向けて報奨金は上がっても、外国馬の関係者に向けてホームページの改善に動き出す気配がないことが残念です。
今や、日本の競走馬が世界で戦えることは、全世界のホースマンたちが知っています。でも、ジョッキーは知られていない。これまでの僕個人の海外遠征は、僕から自発的に行ったものではなく、周りの方々が用意してくれて、行く環境を作ってくれてのこと。それが結果的にハープスターの凱旋門賞やシャーガーカップに繋がった。そう考えると、与えてもらった機会にも、ちゃんと意味がある。そう受け止めて、これからもありがたく、機を逃さないようにしていきたいと思っています。
もちろん、ブリーダーズカップもそうです。最初にも言いましたが、日本を留守にすることでご迷惑をお掛けする方々がいる。そのことに対しては、本当に申し訳ない気持ちです。それでも幼い頃から心に秘めた特別な舞台であり、ラヴズオンリーユーでいえば、春のドバイと香港では日本に残ることを選択したにもかかわらず、僕にとって初めてとなるアメリカのビッグレースを前に、また声を掛けてくださった。ジョッキーとして、こんなにありがたいことはありません。
当たり前ですが、そのぶん大きな責任も感じています。その舞台に立つ意義は、自分の夢を叶えるためでも、ジョッキーとしての誇りを満たすためでもない。勝つために行きます。
ラヴズオンリーユーなら、決して夢物語ではありません。責任を持って、しっかり勝ちに行く。それが僕の仕事だと思っています。
川田将雅
1985年10月15日、佐賀県生まれ。曾祖父、祖父、父、伯父が調教師という競馬一家。2004年にデビュー。同期は藤岡佑介、津村明秀、吉田隼人ら。2008年にキャプテントゥーレで皐月賞を勝利し、GI及びクラシック競走初制覇を飾る。2016年にマカヒキで日本ダービーを勝利し、ダービージョッキーとなると共に史上8人目のクラシック競走完全制覇を達成。