2022年01月11日(火) 18:00
年明け早々の朗報だ。高知の宮川実騎手が1月9日、高知競馬第8レースを大差で圧勝し、地方競馬通算2000勝を達成した。地方通算2000勝以上の騎手は歴代で100名を超えるが、宮川騎手の記録は単なる2000勝ではない。
1999年10月に高知競馬でデビューした宮川騎手は早くから頭角を現し、2003年には73勝で高知リーディング5位。2007年には初めて年間100勝超となる117勝で2位に躍進、翌08年には139まで勝利数を伸ばした。2009年3月の黒船賞では地元のフサイチバルドルで9番人気ながら3着に食い込む好騎乗を見せ、注目度はますますアップした。
しかし同年5月2日、騎乗馬のレース中の故障による落馬で顔面を複雑骨折、左目を失った。頭部を手術し、しかし入院しているときでも復帰することしか考えず、3カ月ほどで調教には乗り始めたという。
その後も何度かの手術を経て、復帰を果たしたのは事故から約1年後の2010年5月29日。片目では新規で騎手免許を受験することはできないが、すでに騎手免許を持っていれば、模擬レースなどを行い騎乗に問題ないと認められたうえで、復帰への道が開かれた。
2013年6月1日には地方通算1000勝を達成。そこから9年足らずで2000勝に到達した。主催者からリリースされた宮川騎手のコメントには次のようにある。
「怪我をしてから今日まで正直大変なときもありました。この勝利に辿り着いたのも、高知競馬場全体が厳しい時代も今日まで変わらず応援してくださったファンのおかげです」
今や1日平均で7億円以上もの売上がある高知競馬だが、宮川騎手の落馬事故の前年、2008年度には1日平均で約4000万円にまで落ち込んでいた。復帰した2010年度は約6400万円まで回復したが、それでも先はまったく見通せない状況で、よく復帰したものと思う。
直線独走となって2000勝が達成されようというとき、橋口浩二アナウンサーは、「あの日あの時の実騎手に伝えたい。あなたは必ず2000勝を達成します。いまゴールイン」と実況した。
事故のすぐあと、復帰はおそらく無理だろうと、仲間の誰もがお見舞いにいくことすらはばかられる状況で、お見舞いに行った橋口アナはなんと声をかけていいかわからず、しかし宮川騎手は「早く乗りたいです」と言ったという。2000勝達成の瞬間の実況は、その当時の宮川騎手に対するメッセージだった。
昨年の宮川騎手の成績は、473戦134勝。高知リーディングでは赤岡修次騎手の174勝に次ぐ2位、全国リーディングでは19位だが、勝率の28.3%は全国1位。初めて全国トップのタイトルに輝いた。
騎手として復帰したことですら奇跡と思えたのに、勝率で全国のトップに立ち、そして通算2000勝の達成は“大あっぱれ”でしょう。
斎藤修
1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。