2022年08月17日(水) 18:01 231
▲佑介騎手と同期の20期生から丹内祐次騎手が登場!(撮影:桂伸也)
夏の北海道からお届けする「with佑」2人目のゲストは佑介騎手の同期、20期生から丹内祐次騎手に来ていただきました。丹内騎手は現時点で今年41勝と、なんと既にキャリアハイ! デビューから19年目を迎えたシーズンで大活躍されています。
第1回となる今回はまず“同期トーク”から。競馬学校時代は津村騎手と並んで明るいキャラだったという丹内騎手、過酷な訓練で殺伐とする中でも周りを盛り上げる存在だったそう。話題はそんな20期生からデビューした8人中5人が集結した昨年の菊花賞へ。そこでは20期生の絆を感じさせる驚きのエピソードがありました。
(取材・構成=不破由妃子)
──今回のゲストは、20期生4人目の登場となる丹内祐次ジョッキーです!
佑介 よろしくお願いします! 丹内がこういう取材を受けるのって、けっこうめずらしくない?
丹内 そうだね。でも、取材が嫌いなわけじゃないよ。ただ依頼がこないだけ(笑)。何時間でも喋れる!
──それは楽しみです(笑)。でも、これから確実に取材が増えますよ。なにしろ、ここにきて騎乗数が急増、勝ち鞍も19年目の今年がキャリアハイですから。
佑介 来年には、確実に1万回騎乗を達成するもんな。すごいよなぁ。
▲今年のエルムSを勝利したフルデプスリーダーと丹内騎手(c)netkeiba.com
──そのあたりの背景もじっくり伺っていきたいのですが、まずは同期ということで、恒例の競馬学校トークを。丹内さんの印象として、当時の佑介さんはどんなキャラでしたか?
丹内 藤岡はね、ひとりだけ精神年齢が全然違ったと思う。20期生のなかには、留年した年上の人とかもいたんだけど、精神年齢が違い過ぎて、みんなで話し合うときは絶対に藤岡がリーダー格。一生懸命、みんなをまとめようとしてくれていた。そうやって藤岡が奮闘しているときに、めっちゃふざけていたのが俺と津村(笑)。今思うとね、マジで申し訳なかったと思う。あのときは気づけなかったけど、腹が立っただろうなと思うよ。こいつら、なんなのよって(笑)。
佑介 あんまりムカついた記憶はないけどなぁ。だって、丹内と津村がイチャイチャしてるのって20期名物だったじゃん。しょっちゅう津村にプロレスの技を掛けてたよな(笑)。
丹内 すみませんでした…。川田のことは、競馬学校の頃から今まで、一度も同期だと思ったことがないな。ずっと先輩だと思ってる、マジで(笑)。デビューしてからも、「お前、何年競馬に乗ってんだよ!」って怒られたりして。「あれ? 同期なんだけどなぁ」と思ったり(笑)。とにかく川田は、ずーっと先輩です。
佑介 俺と丹内は、学校に入る前に函館の乗馬センターで会ってるんだよな。
──函館ですか?
佑介 祖母が函館にいるので、冬休みの間は函館の乗馬センターで乗ってたんです。丹内は函館が地元だから、競馬学校に合格したあとはそこに乗りにきていて。そのときに初めて会ったんだけど、当時から丹内は癒しキャラ。競馬学校での共同生活は、しんどい訓練の連続で殺伐としていたけど、丹内だけはずっとニコニコしてた。いつもふざけて、キャーキャーやってた(笑)。
丹内 すみませんでした…(苦笑)。
佑介 いやいや、めっちゃ癒しキャラだったよ。誰かとケンカすることもなかったし。結局、みんなと分け隔てなく喋っていたのは、俺と丹内と津村くらいだったと思うから。
▲丹内騎手は“めっちゃ癒しキャラ”(撮影:桂伸也)
──なんか、当時の20期生の雰囲気が想像できます…(苦笑)。
丹内 最初は17人くらいいましたからね。デビューまでいったのは8人でしたけど。
佑介 8人デビューして、7人が現役として残ってる。
──そのうちの5人が顔を揃えたのが、昨年の菊花賞。18頭中5人が同期なんて、20期生、すごくないですか?
丹内 すごい! マジですごい。ホントにすごい。
佑介 菊花賞で揃ったときは、写真撮りたかったもんなぁ・・・
藤岡佑介
1986年3月17日、滋賀県生まれ。父・健一はJRAの調教師、弟・康太もJRAジョッキーという競馬一家。2004年にデビュー。同期は川田将雅、吉田隼人、津村明秀ら。同年に35勝を挙げJRA賞最多勝利新人騎手を獲得。2005年、アズマサンダースで京都牝馬Sを勝利し重賞初制覇。2013年の長期フランス遠征で、海外初勝利をマーク。2018年には、ケイアイノーテックでNHKマイルCに勝利。GI初制覇を飾った。