2022年08月25日(木) 18:01 162
▲丹内騎手の挫折と努力に迫ります(撮影:桂伸也)
同期の丹内祐次騎手をゲストにお届けする対談第2回! 丹内騎手は今月21日の札幌3Rで通算400勝を達成!地元・北海道での達成に喜びを噛みしめました。
キャリアハイの更新に記録達成とますます勢いに乗る丹内騎手ですが、前回のコラムで佑介騎手から「間違いなく、一番コツコツ頑張ってきたのが丹内」という言葉がありました。今回はその言葉を深掘り。怪我に苦しみ投げやりになってしまった時期もあったという丹内騎手が今結果を出せている理由は? それは“誰よりも馬に乗っていたジョッキー”だったからだそう…。
(取材・構成=不破由妃子)
──19年目の今年、見事にキャリアハイを更新した丹内さんですが(8月21日終了時点で45勝、21日の札幌3RでJRA通算400勝を達成)、前回のお話にもあったように、学校時代の「落ちこぼれ部屋」から這い上がってきた苦労人でもあります。ここに至るまでには、しんどい時期もありましたね。
丹内 そうですね。デビューして5年くらいは全然でした。
佑介 年間3勝という年もあったな。
丹内 でもね、今思うと自分の責任なんだよ。2年目に勝ち星が伸びたときに、ちょっと調子に乗っちゃって、よく寝坊したりしてた。まったくなにやってんだかねぇ(苦笑)。あの頃、もうちょっとマジメにやっていればって思うよ。
──3年目の8月に新潟で落馬(2006年8月19日・新潟6R・3歳上500万下・ホーネットアーミー)。そのときのケガ(右上腕骨骨折)が後々まで尾を引いて…。
丹内 そうですね、なかなか治らなくて。無理して調教に復帰したもんだから、余計に悪化してしまって。
佑介 腰の骨を腕に移植したんだよな。
丹内 うん。3カ月くらい休んでも、骨折したところの骨が全然くっつかなくてさ。でも、腰の骨を移植したら急激に反応して、一気にくっつき始めた。結局、復帰までに11カ月くらいかかったんだけど、そこから1年も乗らないうちに、今度は移植したところに入れていたピンが折れちゃって。再手術になって、また5カ月くらい休んだ。年間3勝だったのは、その年かな。当時は独身寮にいたんだけど、全然乗り鞍がなくて…。
▲怪我が長引き無理して調教に復帰したこともあったそう…。(撮影:桂伸也)
佑介 競馬の日も寮にいたり。
丹内 そうそう。あの頃はキツかったなぁ。3場開催なのに、休みになってしまう日がけっこうあって。ローカルってね、日曜日に乗り鞍がない場合、土曜日の競馬が終わったら帰らなくちゃダメなんだよ。で、帰るときに、レースが終わって戻ってきたジョッキーたちと玄関ですれ違ったりしたんだけど・・・
藤岡佑介
1986年3月17日、滋賀県生まれ。父・健一はJRAの調教師、弟・康太もJRAジョッキーという競馬一家。2004年にデビュー。同期は川田将雅、吉田隼人、津村明秀ら。同年に35勝を挙げJRA賞最多勝利新人騎手を獲得。2005年、アズマサンダースで京都牝馬Sを勝利し重賞初制覇。2013年の長期フランス遠征で、海外初勝利をマーク。2018年には、ケイアイノーテックでNHKマイルCに勝利。GI初制覇を飾った。