愛称と、やめる勇気

2022年12月15日(木) 12:00 52

 私は以前、親しい人たちから「シマちゃん」と呼ばれていた。自分からそう呼んでほしいと言ったことは一度もない。自然発生的な愛称である。

 来年4月22日にグランドオープンする京都競馬場の愛称が「センテニアル・パーク京都競馬場」となることが、先日、JRAより発表された。センテニアル(centennial)は「100年の、100周年の」という意味の英語で、淀に競馬場が開設されて2025年で100周年を迎えることにちなんだという。

「センテニアル・パーク」でネット検索すると、アメリカやオーストラリアの公園などが出てくるが、JRAは当然リサーチしたうえでこう決めたのだろう。SNSでもそれが話題になっている。発表してすぐ注目されたというだけでも、ひとつ小さな成功をおさめたと言えるのかもしれない。

 私は基本的に、JRAやNPB(日本野球機構)、JFA(日本サッカー協会)のような競技の主催者が、何か新しいことを始めたり、新しいものを提示したりすることが好きで、どんどんやってほしいと思っている。

 サッカーW杯でクロアチアにPK戦で敗れてすぐ、JFAが国際親善試合などでもスコアにかかわらずPK戦を実施していく考えを示したことなどは素晴らしいと思う。

 JRAにも、失敗を恐れず、弾を撃ちつづけてほしい。と同時に、失敗したら、すぐにそうと認めて引っ込める勇気も持ってほしいと思っている。

 これは言論の自由に似ていて、ネットやSNSの普及により、自分の意見や主張を公の場で自由に発表できる時代になった。何を言うのも自由だが、そのかわり、その発言によって誰かを侮辱したり、名誉を傷つけたりしたら、損害賠償請求を受けたり、刑事罰を食らうことになる。言論の自由というのは、責任を取るのなら何を言ってもいいという意味であって、言うだけ言って責任は取らないということは認められない。

 ちょっとわかりづらくなったが、要は、「積極的に弾を撃つ」ことは、「失敗したら引っ込める」こととセットであるべきだと思う。そうしないと、おかしなものが残ってしまうし、次の一手に出るのを躊躇することにつながりかねない。

 JRAによる新たな試みや新ルールのなかでも、パトロールビデオの公開や降着制度の変更などのように、やってよかったと概ね高く評価されたり、評価の対象になっているかどうか断定しかねるほどファンや関係者の間で話題になっていないにせよ、「こういうものだ」と受け入れられているものもある。というか、そっちのほうがずっと多いだろう。

 しかし、これまで何度も言ったり書いたりしてきた「メイクデビュー」は、そろそろ「なかったこと」にしてもいいのではないか。「新馬戦」という立派な言葉があるのだし、紙媒体の文字数の問題もあるし、何より、競馬というのは、存在の仕方も、用語ももともとややこしいのに、さらに覚えなくてはいけないことを増やすのはよくないと思う。

 まず、JRAと地方競馬がある。競馬を知らない人には「日本の競馬にはリーグが2つあり、JRAは農水省の監督下にある特殊法人で、地方競馬は各自治体が主催」と説明しなければならない。

 また、netkeiba.comでは使い分けているが、日米などの「GI」と欧州などの「G1」の表記の違いに加え、「JpnI」などの表記の問題もある。

 これらを、競馬をしたことのない人がすぐ理解できるよう、1分以内、もしくは200字以内で説明せよ――と言われたら、話の長い私でなくても困ってしまうほど、競馬というのはややこしいのだ。

 同列にすべき性質ではないにせよ、例えば、「メイクデビュー」を、最近しばしば使われる「トラックバイアス」と比べるとよくわかる。「トラックバイアス」は主催者から押しつけられたものではなく、自然発生的な言葉だし、「馬場の内外による有利不利」や「前残りか、外差しが利く馬場か」といったことを短くまとめ、「新語」でありながら、むしろ言い方をシンプルにしている。

 書きながら、ひとつ思い出した。

 先日、私も少し関わったテレビ番組のナレーションで、「ダービー出走馬」を「ダービー馬」としていた。その馬はダービーを勝ったわけではないので、競馬ファンや関係者からすると「誤り」なのだが、世間一般の認識というのはその程度なんだな、とあらためて思った。

 もし私がナレーション原稿を事前にチェックできたら「ダービー出走馬」にしていただろうが、そういう立場ではなかった。「ダービー馬」ばかりでなく、例えば「ダービージョッキー」も、「ダービー優勝ジョッキー」と言わないと通じないこともあるのかもしれない。

 いささか極端な例ではあるが、ともかく、競馬が好きな人は気づかないわかりづらさがあることを、主催者もメディアも理解しておくべきだろう。

 だからといって、競馬に興味を示さない人や、競馬を嫌う人に媚びる必要はまったくない。「優駿」1970年10月号の大橋巨泉と寺山修司との対談で、寺山はこう話している。

「(前略)最近では、ファンだけでなく競馬を管理する側も、競馬の利潤で病院を作ろうとか、学校を建てようということに意を払い、それが例の馬券税法案になったりして出てきている。しかし、競馬を何かに役立てよう、というさもしい考え方は、このへんでやめにしたいと思うんだな」

 寺山がこう述べたのは、競馬をしている人間が世間に胸を張れるのは、馬券の売上げの一部が国庫納付金となり、世の中のためになっている――ということぐらいしかない、という背景があるからだ。

 寺山はこうつづけている。

「競馬はそれ自体で一つの世界なんだから、競馬に反対してる主婦の一人息子のために学校の設備資金を援助してやることを主目的にする理由は何もない(笑)」

 私もまったく同意見である。

 ただ、それには「一つの世界」である競馬が、ほかのスポーツや娯楽に負けない素晴らしいものを持っていなければならないし、それがシンプルに伝わらなければならない。

「メイクデビュー」という表記の是非に関しては、このくらいにしておきたい。

  今、netkeiba.comで有馬記念のサイン馬券のアイディアを募集していることを知った。なかなか面白い企画だ。私もいいのを思いついたら応募したい。

バックナンバーを見る

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆~走れ奇跡の子馬~』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

関連情報

新着コラム

コラムを探す