2023年06月06日(火) 18:02 507
▲NHKマイルCと日本ダービーを振り返ります(撮影:桂伸也)
NHKマイルCへクルゼイロドスルとのコンビで挑むことを決めたミルコ騎手。しかしレース前日の朝、調整ルームにいたミルコ騎手に出走回避の連絡が…。
そしてミルコ騎手自身「すごく楽しみにしてた」という日本ダービーではショウナンバシットに騎乗するも16着敗退。悔しさをにじませると同時に、レースでの出来事にも触れ、「僕も本当につらかった」と話します。
最後の直線ではスキルヴィングと並走する形になり、ミルコ騎手も異変を感じていたそうで…。
(取材・構成=森カオル)
ミルコ いやぁ、あれはショックだったなぁ。土曜日の朝、サウナに入って準備をして調整ルームを出たら、JRAの職員さんがきて…。「明日、出られなくなった」って教えてくれました。僕、「えっ…」って固まってしまった。
▲NHKマイルCでコンビを組む予定だったクルゼイロドスルは感冒のため出走取消(撮影:下野雄規)
──そりゃそうですよねぇ。1番人気を争うほどの有力馬でしたから。
ミルコ 土曜日、最初のレースを勝ちましたけど(5R 3歳未勝利・ビップスコーピオン)、クルゼイロドスルのことを聞いたあとだったから、嬉しいんだけどいつもほど気持ちが上がらなかったね。
──高橋調教師が「エエヤンではなくこちらを選んでくれたのに、申し訳ない気持ちです」とコメントを出されていました。そういう経緯もあっただけに。
ミルコ 先生には、めっちゃ優しくしてもらいました。日曜日の競馬が終わったあと、すぐに連絡をもらって。ものすごく謝ってくれましたけど、先生のせいじゃないから、謝ることじゃないのに。「仕方がないです。次、頑張りましょう」って言いました。高橋先生、めっちゃ優しいね。
それにしても、流れがよくないなぁ。ダービーのショウナンバシットも、皐月賞の競馬が思った以上によかったから、すごく楽しみにしてた…。
▲ミルコ騎手とのコンビで日本ダービーに出走したショウナンバシット(ユーザー提供:駿足人間さん)
──中間は4週連続調教に乗って、コミュニケーションを取っていましたね。・・・
ミルコ・デムーロ
1979年1月11日、イタリア生まれ。弟のクリスチャン・デムーロはイタリアのジョッキー。1997年から4年連続でイタリアリーディング。1999年に初来日。2003年、ネオユニヴァースの皐月賞でJRAGI初制覇。続くダービーも制し、外国人ジョッキー初の東京優駿制覇。2015年3月1日付けでJRAジョッキーに。