2024年02月15日(木) 12:00
美浦に行き、今年度限りで引退する調教師にインタビューしてきた。その帰途でカフェに寄り、この稿を書いている。
いつも読んでくれている人は、私が誰にインタビューしてきたか、おわかりだろう。
そう、コビさんこと、小桧山悟調教師である。
もうすぐ「元調教師」と書かなければならないのは寂しいが、コビさんが調教師になった時点で、最後の日が来るのはわかっていたことだ。
それでも、引退を間近に控えたコビさんにインタビューすることすら想像したことはなかった。仮に、10年前、コビさんの引退直前にインタビューするシーンを思い浮かべたとしたら、聞き手は私より、かなざわいっせいさんのほうが相応しいのではないか、と考えたかもしれない。取材と構成を自分がするにしても、最も厳しい目(プロの書き手として、という意味)で読む人として、かなざわさんを意識したことは間違いない。しかし、かなざわさんは、4年前、天国に旅立ってしまった。
想像すらできなかった未来に自分がいるのは当たり前のことなのかもしれないが、ため息が出てしまう。
コビさんへの実際のインタビューは、もっとしんみりしたものになるかと思っていたら、40年近い付き合いのなかでのやり取りの延長という感じだった。いつもどおり話しているうちに、次の用事のため席を立たなければならない時間が来た。
インタビュー原稿の〆切まで少し時間があるので、追加取材をするなり、構成を練り直すなりしたいと思う。
前にも当欄に書いたが、作家の島田雅彦さんは、6年ごとに作風を変える努力をしているという。人間の細胞は6年ですべて入れ替わるからで、6年の周期を3度繰り返して18年経つと、元のところ(と少しズレたところ)に戻ってくる、と考えているとのこと。こう書きながら、追突事故のあと通っている病院のマッサージ師に、7年周期とガセを教えてしまったことに気づいたが、ともかく、私はコビさんと知り合ってから、少なくとも2度は、元のところ(と少しズレたところ)に戻ってくるくらい、中身が更新されているはずなのだ。
コビさんに言われて思い出したのは、1990年に武豊騎手の遠征に同行する形で一緒にアメリカに行ったとき、同じ部屋に寝泊まりしていた私が、外出から戻るとその日にどこで何をして、どんな人に会ったかなどを、黙ってメモしていた、ということだ。コビさんがいったん寝て、夜中に目覚めたときもまだ書いていたこともあったという(それは思い出せないので、コビさんの夢かもしれない)。
私はカバンが苦手で、なるべく何も持たずに手ぶらで出かけるようにしているのだが、メモだけは今もポケットに入れている。しかし、あのころのように、その日のことを細かく記す習慣が、いつの間にかなくなってしまった。
確かなのは、23歳だったあのころのほうが、今より、1分1秒を大切にしていた、ということだ。出会いや、印象的な出来事の蓄積が少なかったので、それらすべてを身につけて歩いても「自分のもの」としていつでも取り出して人に見せる(=書く)ことができた、という部分はあったかもしれない。年をとって、それらの蓄積が多くなって、とても持ち切れなくなったから、自然とメモする習慣もなくなってしまったのか。
若いころの習慣を、また取り戻してみたらどうなるか。1990年から34年経つので、私の中身は2度まるまる入れ替わろうとしているところだ。ちょっとズレたところに戻ってくるのだから、メモではなく、日記やブログなどでいいはずだ。
蓄積が膨大になったぶん、残り時間は少なくなっている。二十代のころとは別の理由で、1分1秒を大切にすべきだ。
6年周期×3度の18年前、その倍の36年前を思い出し、近いところに戻ってみると、今の自分のありようが、よくわかるかもしれない。
今から18年前、2006年は、古馬になったディープインパクトをフォローするのがメインの日々だった。
36年前、1988年は、タマモクロス対オグリキャップの芦毛対決に熱くなっていた。もう書く仕事を始めており、先述したようなメモの習慣があったはずだ。意識して自分に課していたのではなく、当然すべきこととしてやっていたのだろう。そのへんの感覚から、取り戻してみたい。
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島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。 関連サイト:島田明宏Web事務所
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