【皐月賞】牝馬の制覇は戦後間もない2頭のみ 早くからの参戦明言はレガレイラ陣営の自信の表れ

スポーツ報知

2024年04月08日(月) 06:00

1947年に牝馬として皐月賞とオークスを勝利したトキツカゼ(JRA提供)

◆第84回皐月賞・G1(4月14日、中山・芝2000メートル)

 第84回皐月賞・G1は14日、中山競馬場で行われる。76年ぶり史上3頭目の牝馬Vを狙うレガレイラに注目。牝馬の優勝は1947年のトキツカゼと48年のヒデヒカリのみ。吉田哲也編集委員は「思う」で、当時の社会情勢や競馬を取り巻く環境に迫った。

  牝馬の皐月賞制覇は戦後、間もない2例しかない。1947年のトキツカゼと翌48年のヒデヒカリだ。当時のレース呼称は「農林省賞典」。トキツカゼが生まれた44年は戦時中で、競馬開催は中止(能力検定競走として一部実施)。ヒデヒカリが生まれた45年の軽種馬生産頭数は807頭で、現在の約10分の1だった。

 日本中央競馬会(JRA)「日本ダービー50年史」によると、競馬が再開されたのは1946年10月27日。1週後に日本国憲法が公布された。そんな時代である。競走体系は今とは大きく異なり、桜花賞皐月賞は5月の東京、日本ダービーは6月、オークスは10〜11月の秋開催。東西の往来は少なく、牝馬であろうと、目の前にあるレースに積極的に出走させていた。

 47年に戦後初の「皐月賞」を優勝したトキツカゼは、日本ダービーにも参戦。惜しくも2着だったが、秋にはオークスを大差で制している。引退後は繁殖牝馬として55年のダービー馬オートキツを送り出し、子孫には99年オークスウメノファイバーの名も。日本競馬の歴史を紡ぐ一頭として、顕彰馬にも選出されている。

 JRAが誕生し、クラシック体系が整備された1955年以降、牝馬の皐月賞参戦は、わずか4頭。牝馬が春最大の目標を、まずはマイルの桜花賞に置くのは当然といえる。それだけに早くから参戦を明言してきたレガレイラ陣営の自信は相当なものだろう。(編集委員・吉田 哲也)

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