1994年の
桜花賞馬の
オグリローマン(牝・
父ブレイヴェストローマン)が、3月3日、北海道新ひだか町の稲葉牧場で亡くなった。24歳だった。
オグリローマンは、怪物
オグリキャップの妹として1991年5月に稲葉牧場で生まれ、兄と同じ笠松競馬で7戦6勝の成績を挙げて
中央競馬に移籍。
地方競馬出身馬として初めて
桜花賞を制した。
桜花賞後は勝ち星に恵まれず、5歳(旧馬齢表記)で競走馬登録を抹消。稲葉牧場に戻って繁殖生活を送っていた。2011年に
ヴァーミリアンを種付けしたものの不受胎に終わり、繁殖生活に終止符を打ち、その年の秋から
ジャパン・スタッドブック・インターナショナルの引退名馬繋養展示事業の助成を受け、生まれ故郷で余生を過ごしていた。
「2月半ばから右トモが不自由になりました。よくゴロを打つ馬なのですが、1度寝てしまうと起き上がれなくなるねと主人とも話をしていました。でも気丈な馬で、そのような状態でもゴロを打たずに立っていました」と話すのは、稲葉牧場の稲葉千恵さん。
しかし、3月3日の朝に飼い葉をつけにいくと、馬房の中でローマンは横たわっていた。
「もう立てないのかなと思いました。それでも手のひらから燕麦を食べてくれたんです」(千恵さん)
そしてその日のうちに、
オグリローマンは息を引き取った。
解剖の結果、芦毛の馬に多く見られるメラノーマ(悪性黒色腫)が全身に広がっていた。けれども、その最後は穏やかだった。「スーッと、本当に静かに逝きました」と千恵さんの言葉通り、ローマンは眠るように安らかに天国へと旅立っていったのだった。
「ローマンは頭の良い馬でした。ファンの方が訪ねてくると、ちゃんと理解しているようで、呼ぶとこちらに来ました。けれども、馬に対してはきついところのある馬でした。キリッとしていて、馬の中ではリーダー的存在でした」と千恵さんは在りし日のローマンの素顔を教えてくれた。
6歳上の兄の
オグリキャップは稲葉牧場にとっても大きな存在であったが、繁殖牝馬として稲葉牧場で長い時間を過ごしてきた
ホワイトナルビー(
オグリキャップ、
オグリローマンの母)、
オグリローマン親子もまた特別な存在であった。兄が叶わなかったクラシックレースに出走した妹が、
桜花賞を見事に優勝した。それは関係者の強い思いが結実した瞬間でもあった。
「あの時は、目に見えない力が働いたような気がしました」と、千恵さんは当時を振り返る。
母としての
オグリローマンは、オープン馬こそ輩出できなかったが、
チジョウノテンシ(
父デヒア)、道営競馬で昨年まで走っていた
シュンプウサイライ(
父フレンチデピュティ)、更には孫の
クィーンロマンス(
父ティンバーカントリー、
母オグリロマンス)、
サンマルミッシェル(
父ネオユニヴァース、
母オグリロマンス)が、現在、稲葉牧場でその血を受け継ぐべく繁殖生活を送っている。
「ローマンには、本当に夢を見させてもらいましたし、生まれた時から亡くなるまで、その一生を近くで見ることができました。亡くなって寂しいですけど、もっとああしてあげれば良かったとか、そのような後悔がないんですね。後継の繁殖牝馬を残してくれていますし、その血は今後も続いていきます。これからがまた楽しみです」
そう話す千恵さんの声には、悲しみや寂しさの中にも希望が宿っているように感じられた。
(取材・文:佐々木祥恵)
2015/3/9 16:41
クラシックに出られなかった兄の鬱憤を晴らして
見事に桜の女王になってくれましたね(^^)
24歳・・・産駒には恵まれませんでしたが最後は大往生
しかも、生まれ故郷の「稲葉牧場」での旅立ち・・・。
今頃は、兄貴と「向うの牧場」で主戦だったアンカツや
ユタカの思い出話に花が咲いてそうです♪
安らかに!