“ドラマのような勝利”橋口師の悲願達成に太が思うこと

2014年06月24日(火) 18:00

小牧太

改めてダービーを振り返るとともに、ジョッキーとしての複雑な思いを語ってくれました

サトノルパンで挑んだダービーは、残念ながら14着。勝ったのは、小牧騎手がベースとしている橋口厩舎のワンアンドオンリーでしした。今回は、改めてダービーを振り返るとともに、ジョッキーとしての複雑な思いを語ってくれました。

(取材・文/不破由妃子)


■ジョッキーとしては悔しいし、複雑な思いが…

──今回は、ダービー絡みの質問がけっこうきています。少々時間が経ってしまいましたが、改めてレースを振り返っていただけますか?

小牧 最初から掛かるだろうなとは覚悟してたんやけど、思ったよりうまく制御はできたんですけどね。ちょっと遅れ気味で出たら大丈夫やった。ただ、4コーナーの手前で前の馬に乗りそうになってね。

──そうだったんですか!?

小牧 うん。僕ひとりだけ外に行った場面があったでしょ。あのとき前の馬に乗りそうになって。3コーナー手前でやっとハミが外れて、手綱をプラーンとさせとったんですわ。直線までできるだけ温存しようと思ってね。そうしたら4コーナー手前で急にペースが落ちて、前がギューッと詰まって。そのときに前の馬に乗りそうになったから、外に逃げたんですわ。

──ということは、それくらい手応えがあったと。

小牧 いや…。直線に向いたときには、もう全然手応えはなかったです。敗因は距離です、はい。でもやっぱりダービーはいいね。雰囲気が独特や。

──相変わらず、応援がたくさんきていましたね。

小牧 きてくれてましたねぇ。いつもの男の子もきてくれてたわ。東京でも「小牧太騎手、応援しています!」って言うてくれたわ・・・

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小牧太

1967年9月7日、鹿児島県生まれ。1985年に公営・園田競馬でデビュー。名伯楽・曾和直榮調教師の元で腕を磨き、10度の兵庫リーディングと2度の全国リーディングを獲得。2004年にJRAに移籍。2008年には桜花賞をレジネッタで制し悲願のGI制覇を遂げた。その後もローズキングダムとのコンビで朝日杯FSを制するなど、今や大舞台には欠かせないジョッキーとして活躍中。

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