競走馬の社会性

2014年07月12日(土) 12:00


◆競走馬の名について

 7月9日、大井競馬場で、南関東三冠を締めくくる第16回ジャパンダートダービーが行われた。あいにくの雨で、しかもメインレースの前後だけ急に雨足が強まるという意地悪な空模様のなか、1万5562人のファンが足を運んだ。

 私もそのひとりだった。

 8戦無敗のハッピースプリントが、2001年のトーシンブリザード以来13年ぶり、8頭目の南関東三冠馬となる瞬間(鼻差の2着に惜敗したが)を目撃したい……という思いもあったが、もうひとつ、どうしても行きたいところがあった。

 オオエライジンの献花・記帳台である。6月25日の帝王賞のレース中に故障して世を去った同馬をしのび、7月6日から11日まで正門総合案内所前に設置された。そこにはたくさんの花が置かれ、多くのファンが自身の思いと名を記していた。

熱視点

大井競馬場に設けられたオオエライジンの献花・記帳台

 ライジンが死んでしまったのは悲しいことだ。しかし、次々と献花台を訪れる人々を見ていると、自分と同じ思いを寄せている人が大勢いることがわかり、「死」という言葉にはそぐわない、「喜び」としか言いようのない感情が胸に湧いてくる。

 こうして生前の活力に満ちた写真や、活躍ぶりを示す優勝レイ、多くの人に愛された証である花束などを前にすると、別れの悲しみや寂しさは、出会った喜びがあったからこそだと思い知らされる。同時に、その逆、悲しみや寂しさを嫌というほど味わったがゆえに、出会いの喜びに身を躍らせた記憶が確かに蘇ってくる、という一面もある。

 死者をしのぶセレモニーというのは、人を強い力でとらえる悲しみや寂しさに押しつぶされないようにする昔日からの知恵によるものなのだろう。

 サラブレッドというのは、元来、優しくておとなしく、臆病で、集団のなかにいてこそ安楽を得られる生き物である。

 ところが、人を背中に乗せて競走するという使命を負わされているがゆえに、自然のまま生きていれば必要のない、さまざまな技能を習得させられる。

 神様がどう考えたのかはわからないが、馬は人を乗せるためだけに生まれてきたわけではない。しかし、人間は、自分たちが乗るために馬をつくり、結婚相手まで自分たちの都合で決めてしまう。

 サラブレッドは、ある時期が来たら、母親と引き離され、人間が学校に行くように、同い年の仲間たちと生活させられる。そして、背中に鞍を乗せられ、胴に腹帯を巻きつけられ、顔に頭絡をつけられ、馬銜をかませられる。

 馬にとっては思いっきり不自然なことばかりである。

 しかし、そうすることによって初めて、人間は馬に乗り、速度や進行方向などをコントロールできるようになる。

 つまり、サラブレッドは生き物でありながら、きわめて人工的な乗り物にさせられているのである。それでいて、大きなレースを勝つ馬というのは、どこか「キレた」ところがあるわけで、そうした部分を引き出すために「野性」を呼び覚まされる。

 人間に合わせろと言われたり、自然に還れと言われたり、大変である。

 そして、これが重要なのだが、競走馬として社会人ならぬ「社会馬」となる過程で、一定の決まりにのっとった名前をつけられ、それが記録として成績表や血統表に残る。

 オオエライジンのように、一見して男だとわかる名もあれば、今年のジャパンダートダービーを勝ったカゼノコのように、牡牝どちらでもよさそうな名もある。また、例えば、ミータローという馬がいて、私は厩舎などで触れたことはないのだが、あの可愛い名で猛獣系の性格であるわけがないと決めつけており、自分のその思い込みにかなり自信を持っている。

 そんなふうに、まず名前でキャラクターを持つ。

 さらに、走りっぷりで、そのキャラクター色をはっきりさせる。シンボリルドルフなどは、「別にぶっチギらず、3/4差でもなんでも勝てばいいんだろう」と言っているかのようなレースぶりで、もし人間なら、ちょっととっつきにくそうなキャラクターであるように思われた。

 オオエイライジンは、7代母のクリフジとそっくりの姿で無敗の兵庫ダービー馬となって、私を大いに興奮させてくれた。兵庫のファンや関係者にとっては、「兵庫代表」としてJRAの強豪たちと対決を繰り返すヒーローとなった。

 こうなると、もう人間と同じで、「社会性を持つ」ということを通り越し、「社会的地位を確立する」と言ってもいい。

 公に認められる名前を持って、人々に自身のキャラを印象づけ、確かな社会的地位を持ち、多くの人々に愛され、尊敬を集める……という動物は、人間以外では、サラブレッドしかいないのではないか。

 なぜこんなことを長々と書いたかというと、以前、競馬を知らない人が、「サラブレッドが引退後も競走馬時代の名で呼ばれているのはなぜだろう」と言っているのを聞いて、ウーンと思ったからだ。

 サラブレッドが競走馬として社会性を帯び、自身の地位を築いていくプロセスを一度でも目にしていれば、おそらくそんなふうには考えないと思う。

 その人にとっては、Aさんが飼っていたタローという犬が逃げて、それをBさんが拾ってポチと名づけて可愛がっているのに、わざわざタローと呼ぶことはない、といった感覚なのだろう。

 オオエライジンの死も、あの馬が見せた走りも、それによって築いた名声も、オオエライジンだけのものだ。

 あの馬の存在を、自分だけの記憶として、大切にしていきたいと思う。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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