ケープブランコの主戦、ジェイミー・スペンサーが今シーズン限りで引退

2014年08月27日(水) 12:00


引退後は「カタール・レーシング」のマネージメントチームにアドバイザーとして参画

 欧州のトップジョッキー、ジェイミー・スペンサー(34歳)が、今シーズン一杯で現役を退くことが明らかになった。8月21日に、スペンサーが自ら発表したものだ。

 スペンサーは昨年から、シェイク・ファハドを中心としたカタールの王族による競馬組織「カタール・レーシング」の主戦騎手を務めているが、2015年1月からは同組織のマネージメントチームにアドバイザーとして参画することになったものだ。

 63年のチェルトナム・チャンピオンハードル勝ち馬ウィニングフェアらを手掛けた調教師ジョージ・スペンサーの子息として、1980年6月8日に愛国のティッペラリーで生まれたジェイミー・スペンサーは、リアム・ブラウニー調教師のもとで騎手デビューを果たし、96年5月11日にダウンパトリック競馬場で初勝利を挙げている。

 まだ見習い騎手だった2年後の98年5月、トミー・スタック厩舎のタラスコンでG1愛1000ギニーに優勝。当時17歳だった彼は、愛国における史上最年少のクラシック勝利騎手となり、その名は一躍欧州競馬サークルに知れわたることになった。

 2年後の00年に英国に移籍し、ルーカ・クマーニ厩舎の所属馬を中心に騎乗。自厩舎のエンドレスホールで01年のG1シンガポール国際C、同じく自厩舎のゴッサマーで01年のG1フィリーズマイルや02年のG1愛1000ギニーを制した他、ヘンリー・キャンディ厩舎のカイラキーで02年のG1ナンソープS、エイダン・オブライエン厩舎のブライアンボルーで03年のG1セントレジャー制覇を果すなど、その出世はトントン拍子だった。

 ブライアンボルーへの騎乗が縁で、腕を見込まれたスペンサーは翌04年、愛国の巨大組織エイダン・オブライエン厩舎の主戦に抜擢された。この年、93勝を挙げて愛国のリーディングジョッキーとなり、パワーズコートに騎乗してG1タタソールズGC、アドヴァロレムに騎乗してG1ミドルパークS、オラトリオに騎乗してG1ジャンルクラガルデル賞を制するなど、随所で光る騎乗を見せた一方で、パワーズコートで参戦したG1アーリントンミリオンでは1着入線しながら降着処分となったのをはじめ、関係者の目から見ると残念な騎乗ミスも多く、オブライエン厩舎の主戦はわずか1シーズンのみで降ろされることになった。

 これに一念発起したか、再び英国に拠点を移しフリーランスとして騎乗した05年、スペンサーは、グッドリックで制したG1スプリントC、デヴィッドジュニアで制したG1チャンピオンSを含む180勝を挙げ、英国では初めてとなるリーディングの座を奪取。2年後の07年にもスペンサーは、2度目となる英国リーディングのタイトルを獲得している。

 更に2年後の09年には、マイケル・ベル厩舎のサリスカで英愛オークス連覇を果すなど、トップジョッキーとしての地位を不動のものとする実績を残した。

 10年からは、馬主フィトリ・ヘイと主戦契約を結び、フェイムアンドグローリーで11年のG1アスコットゴールドCを、ケープブランコで11年のG1マンノウォーS,G1アーリントンミリオン、G1ターフクラシックを制するなど、大西洋を股にかけた活躍を見せている。

 そして前述したように、13年からはカタール・レーシングの主戦として騎乗。ジャストザジャッジで13年のG1愛1000ギニー、サイドグランスで13年のG1マッキノンSを制している。

 私生活では05年2月に、調教師リンダ・ラムスデンの娘で、チャンネル4の競馬中継でレポーターを務めていたエマ・ラムスデンと結婚。3人の子供をもうけたが、残念ながら5年後の10年に2人は離婚。原因は夫ジェイミーの浮気で、相手はなんと現役ナンバーワン女性騎手のヘイリー・ターナーだった。この頃、出産を終えて番組に復帰していたエマ・ラムスデンが、番組ディレクターから出されたヘイリー・ターナーへの勝利騎手インタビューを拒否した事件は、英国の競馬ファンなら誰もが知る逸話である(ちなみに現在は、エマ・ラムスデンはヘイリー・ターナーへのインタビューを行なっている)。

 怪我などを除けば、トップジョッキーの34歳にしての引退は異例だ。これについてスペンサー本人は、「自分もおおいに悩んだ」とコメント。「今すぐに現役を退かなければならない理由は、自分にはない。だが、騎手が一生続けられる仕事ではないことも確かだ」。「そして、騎手という職業以外にも自分が競馬に貢献出来る手段はある」。「一番大切なのは家族で、彼らのことを思った時、カタール・レーシングのアドバイザーというポストのオファーは、断るべきものではないと決断した」と、引退に至った経緯を説明している。

 カタール・レーシングには、ジェイミー・スペンサーの他にもハリー・ベントレーという契約騎手がいるが、スペンサーの抜ける穴は大きい。後釜に座るのはいったい誰になるかが注目されたが、スペンサーが引退発表を行った翌日の8月22日には早くも、カタール・レーシングから後任人事の発表があった。

 ジェイミー・スペンサーに代わって来季、カタール・レーシングの主戦を務めるのは、アンドレア・アツェニ(23歳)である。

 イタリア生まれのアツェニは、12年10月に独国調教馬ソルティレージに騎乗してカパネッレのG1リディアテシオ賞を制しG1初制覇。翌13年8月にはソルティレージと同じアンドレアス・ヴォーラー厩舎のサイズモスでG1バイエルン大賞を制覇。この年から、ロジャー・ヴァリアン、ルーカ・クマーニ、マルコ・ボッティ、ロバート・エデリーといった調教師の支持を得て、英国での騎乗数も増加。昨年10月にはロジャー・ヴァリアン厩舎のキングストンヒルでG1レイシングポストトロフィーを制し、今年6月には同馬に騎乗してG1英ダービー2着の成績も残している。

 いわば、ここ2〜3年の間にメキメキ台頭してきた若手の有望株が、アンドレア・アツェニである。

 カタール・レーシングはまた、来シーズンのセカンドジョッキーとして、今季ここまで見習い騎手リーディングのトップを走っているアイシス・マーフィー(18歳)を起用することも発表。これにともない、ハリー・ベントレーとの契約が年内で終了となることも、合わせて明らかにしている。

 アツェニとマーフィーの若手コンビが、カタール・レーシングの良血馬たちの背でどんなパフォーマンスを見せるか。来季の英国競馬における大きな見どころの1つとなりそうだ。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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