スマイルジャック引退セレモニー

2014年11月08日(土) 12:00


「おう、スマイル、元気だったか」

 川崎競馬場の待機馬房で声をかけると、スマイルジャックはゆっくりと振り向き、こちらに体を向けた。

 2014年11月3日、月曜日。午後5時を回ったところだった。

 6時15分発走の第7レース終了後、ここ川崎競馬場のウィナーズサークルでスマイルの引退セレモニーが行われる。

 私が着いたときには、JRA時代に管理していた小桧山悟調教師と、小桧山厩舎の芝崎智和調教助手がいた。

「もっと老け込んでいるかと思ったけど、顔なんか若々しいですね」

 私が言うと、小桧山師と芝崎助手、そして現在の担当者である川崎・山崎尋美厩舎の志村直裕厩務員が笑顔で頷いた。すると、スマイルは、

 ――なんだよ、お前ら。おれのこと噂してんのか。

 とでも言いたげな表情で、馬房から顔を突き出した。

引退セレモニーを控え、川崎競馬場の待機馬房で筆者に鋭い視線を向けるスマイルジャック

 写真を撮ろうとスマホを向けるとギロリとガンを飛ばしてくる。

 ――こいつが人間なら、ポケットに手を突っ込んで、ガムをクチャクチャ噛んでるような感じだろうな。

 と思って見ていたら、一歩下がって顔を下ろし、寝藁をくわえてこちらを睨む。

 ガムの代わりに寝藁をクチャクチャやるとは、相変わらず、ネタをくれる男だ。

 芝崎助手と志村厩務員が、馬房の前でスマイルのヤンチャ話を始めると、話の輪に加わるかのようにしている。

ガムの代わりに(?)寝藁をくわえ、周囲を睥睨する

JRA時代、6年間スマイルの調教に騎乗してきた芝崎智和調教助手(左)と、現担当の志村直裕厩務員。

 ニンジンで釣って私とのツーショットを撮り、小桧山師と芝崎助手も記念撮影を終えたちょうどそのとき、小桧山厩舎の梅澤聡調教助手が現れた。スマイルが2歳のときから去年移籍するまで6年間、ずっと担当者として世話をしていた人である。

 梅澤助手を見たスマイルが、驚いたように首を上げた。

 ――あれ? ウ、ウメさんじゃねえか。

 という声が聴こえたかのようだった。

 小桧山師が言った。

「おれのことは忘れているだろうけど、ウメのことはわかっているね」

 1年ぶりの再会を喜んでいるはずなのに、顔を寄せたり、グーッと鳴いたりするような甘えた素振りを見せないのもまたスマイルらしさである。

 それでも、見るからに動揺し、

 ――何が起こるんだろう。あんた、本当ににウメさんか?

 といった表情をしているのが、なんとも言えず可笑しかった。

「梅澤さん、久しぶりに会うと、感極まるものがあるんじゃないですか」

 私が言うと、梅澤助手は、

「またそうやって……」

 と笑った。「……」につづくカッコのなかには(泣かそうとしないでください)という言葉が隠されていたように感じられた。

 志村厩務員は、その間、何度もスマイルの顔を拭いたりと、寂しさを紛らしているように見えた。

「正直、残念ではありますけど、種馬になることが決まってよかったです。どこに行っても『ジャックー、頑張れー!』と声をかけてもらって、心強かったです」

 自然とスマイル談義が始まった。

「タニノギムレット産駒の牡馬で、一番賞金を稼いでるのはこいつですよね」

「あれ、ウオッカがギムレットの初年度産駒で、こいつは2年目だっけ?」

「カンパニーだ、ディープスカイだ、ブエナビスタだ、オルフェーヴルだ……と、ずいぶん強いやつらとやり合ってきたなあ」

「昔はゲートの出が速すぎて、折り合いをつけるのに苦労していたのに、ここ1、2年は逆になっちゃって」

「気持ちが切れちゃったんですね」

「乗り味は素晴らしくて、今でもやってくれそうな片鱗は見せてくれていたんですけど」

「曳いているとき、右側に立っている人間のほうに前脚を飛ばしてくるんですよ」

「馬っ気は?」

「出します。隣に牝馬が来ると大変で」

「種馬になれてよかったなー、お前」

 などなど。

 梅澤助手が、息子さんとお嬢さんと記念撮影を始めた。スマイルはお嬢さんに鼻先を寄せて目を細めた。小桧山厩舎にいたときも、母親に抱かれた赤ちゃんにそっと唇を押し当てていた。どうやら人間の子供が好きらしい。大人の男にはガブガブ噛みつくが、小さい子に対しては絶対乱暴なことはしない。スマイルは、サラブレッドという生き物が持つ優しさと激しさと強さを、こんなふうに、ずっと私たちに見せつづけてくれた。

梅澤聡調教助手と、息子さんとお嬢さん。スマイルの表情が、急に優しくなった

「もしよかったら、セレモニーで一緒に曳いてもらえませんか」

 と志村厩務員が梅澤助手に言った。

「え? いいんですか」

 と梅澤助手は目を輝かせた。

 私は、梅澤助手が恥ずかしがって遠慮するのではないかと思っていたが、やはり、こういう晴れの舞台というか、区切りをつける場では一緒にいたいと思うものなのだろう。

「新旧の担当者が二人曳きでファンの前にお披露目する引退セレモニーって、感動的じゃないですか」

 私が言うと、近くにいた川崎競馬場の職員が、

「ぜひ、そうしてください」

 と微笑んだ。

「じゃあ、やらせてもらいます」

 と言った梅澤助手は、スマイルが重賞を勝ったときと同じぐらい嬉しそうだった。

 かくして、おそらく史上初だと思われる、新旧の担当者が曳き手綱を持つ引退セレモニーが行われた。

 主催者サイドの粋なはからいがあって実現したことだ。私は、もともと好きだった川崎競馬場を、これだけで何倍も好きになった。

 ウィナーズサークルの壇上に、山崎師、山崎誠士騎手、小桧山師、新潟総合テレビの鈴木秀喜アナウンサーが並び、インタビューに応えた。その後ろのコース上を、梅澤助手と志村厩務員に曳かれたスマイルが常歩で行ったり来たりを繰り返した。

壇上、左から山崎尋美師、山崎誠士騎手、小桧山悟師、鈴木秀喜アナ

スタンド前の直線を歩くスマイル。向かって左が梅澤助手、右が志村厩務員

 本サイトのニュースページに佐々木祥恵さんによるレポートがアップされたので、そちらでこのセレモニーの様子を知った方も多いと思う。

 たくさんのファンが集まり、関係者の言葉に耳を傾けながら、スマイルの立派な馬体と整った顔の見納めをした。

 芝崎助手の友人で、このためだけに小倉から来た人もいれば、富山から駆けつけた人もいた。

「スマイルジャック」の名付け親となった吉川かおりさんも、新潟からスマイルに会いに来た。

「スマイルが『夢は叶う!』と教えてくれました。たくさんの素敵な時間をプレゼントしてくれて、これからも素敵な夢を見せてくれるスマイルに、心から『ありがとう』の気持ちです」

 ここに集まった人々は、みな彼女と同じ気持ちでスマイルを見つめていた。

最後の口取り撮影。向かって右から4番目が吉川かおりさん

 中央で48戦、地方で10戦。08年スプリングステークスなど重賞を3勝、ダービーで2着、安田記念で2年連続3着。7年間、本当によく走ってくれた。

 私個人としては、小桧山師と知り合った1980年代の終わりから、順調なら産駒がデビューする2018年までの30年ほどの時間を、スマイルが種牡馬入りすることによってつながれたように感じている。

 ――スマイル、お疲れさま。また会いに行くからな。

 種牡馬スマイルジャックがどんな表情で迎えてくれるか。日高を訪ねるのが今から楽しみである。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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