コパノリッキーと武豊騎手の「和」

2015年02月26日(木) 12:00


本当の和とは

 受け入れることは受け入れても、主張すべきことは主張する。本当の和はそこから生まれると言われるが、付和雷同というように協調性を重んじる場合には、和と同調とが混同してしまっている。周囲の顔色を見てしまう弱さが、我々にはどうしてもあるのだ。同調するのではなく協調するところから、本来の和を目指そうと、ずっとやってきたように思えてならない。競馬にだって人馬の呼吸があるから、和がどれほど大切であるか、言うまでもない。

「鞍、鐙(あぶみ)、手綱の3つが一致して、とりあい良きを上手とぞ言う」とこの世界では言われてきた。人と馬との間に生まれる和こそ、なによりも大切なことと伝えてきているのだ。「世の中の人の面の如くにて、似て似ぬものは馬の口向き」とも言うように、とにかく1頭1頭の馬と呼吸を合わせることは難しく、それがうまくいったときに好騎乗が生まれる。分かりやすいのが先行馬だ。

 史上初のフェブラリーS連覇を達成したコパノリッキー、そして武豊騎手。圧倒的人気を背負っていても、この馬のペースとリズムを守り、先に行かせたアドマイヤロイヤルの外のスペースにつけ砂をかぶらない位置の2番手に。これで人馬の意志はぴったり、コパノリッキーの長所、スピードの持続力を最大限に発揮させたのだった。受け入れることは受け入れ、主張すべきことは主張する姿が見えていた。残念ながらレース後に骨折が判明してしまったが、協調するところから生まれた和は、まだまだ大きな成果を生んでいくことだろう。

 武豊騎手とスピード馬と言えば、サイレンススズカを思い出す。スピードの違いで1頭だけ別のレースをしている、デビュー戦で見せた逃げ切りはそんな感じだった。その傑出した加速力も旧4歳時は成果につながらなかったが、初めて武豊騎手が騎乗した香港で、ケレン味のない逃げに活路を見い出し、帰国してから一気に素質を開花させたのだった。6連勝の快進撃、音速の貴公子サイレンススズカと称えられた。ただひたすら走らせる、武豊騎手の思いはサイレンススズカの思いに合致していたのだ。その初の重賞制覇が中山記念の逃走劇だった。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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