2015年03月10日(火) 18:01
▲2月27日に届いた訃報、家族ぐるみで親しかった福永が想いを語る
2月27日の調教中、後藤さんの訃報が届いた。
そんな冗談、誰も言うわけないよなぁと思いながらも、にわかには信じられず、すぐに(三浦)皇成と連絡を取った。ビックリしすぎて、確かめずにはいられなかった。
なにせ後藤さんとは、前々日の水曜日にLINEで他愛もないやり取りをしたばかり。ダイヤモンドSの落馬があったからちょっと心配していたのだが、LINE上では至っていつもの後藤さんだった。だから、まさかこんなことになるとは露ほども思わず…。
なにひとつピンとこなかったが、翌日は競馬。駆け付けるわけにもいかず、その土日はよくわからないまま競馬に乗っていた感じだった。
後藤さんには、ずいぶん仲良くしてもらった。結婚する前もそうだが、結婚してからは家族ぐるみでハワイに行ったりもした。後藤さんに任せておけば、レンタカーの手配から何から何まで段取りは完璧。そういうことに労を惜しまない、マメできっちりとした性格の人だった。そんな後藤さんが、何の前触れもなく死を選ぶなんて信じられなかった。家族はもちろん、競馬ファンをあれだけ大事にしていた人が、誰にもメッセージを残さず死ぬなんて、絶対にあり得ないと思った。
▲エスポワールシチーに騎乗して優勝した2013年の南部杯
▲同馬で勝利した2013年のJBCスプリント、これが自身最後のGI制覇となった
今となっては、真実は誰にもわからないけれど、自分のなかでひとつ確信しているのは、後藤さんが自分の意志で選んだ死ではないということ。突発的な“何か”があり、自分でもその状況をコントロールできず、死ぬつもりなんてなかったのに結果的にそうなってしまった ──少なくとも自分はそう思っている。そうでなければ、あれだけ溺愛していた一人娘を残して死ぬはずがない。
ただひとつ、自分には心残りがある。この前の落馬を見て、近々ふたりで会いたいと思っていた。そこで、「後藤さん、もう(ジョッキーを)辞めたほうがいいよ」と、思い切って切り出すつもりだった。それを言えるのは、自分しかいないという思いもあった。ただ、思っていたより元気だったから、これは早急に時間を取らなくても大丈夫かな…と思ってしまったのだ。・・・
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2013年にJRA賞最多勝利騎手に輝き、日本競馬界を牽引する福永祐一。まだまだ戦の途中ではあるが、有言実行を体現してきた彼には語り継ぐべきことがある。ジョッキー目線のレース回顧『ユーイチの眼』や『今月の喜怒哀楽』『ユーザー質問』など、盛りだくさんの内容をお届け。
福永祐一
1976年12月9日、滋賀県生まれ。1996年に北橋修二厩舎からデビュー。初日に2連勝を飾り、JRA賞最多勝利新人騎手に輝く。1999年、プリモディーネの桜花賞でGI初勝利。2005年、シーザリオで日米オークス優勝。2013年、JRA賞最多勝利騎手、最多賞金獲得騎手、初代MVJを獲得。2014年のドバイDFをジャスタウェイで優勝。
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