■第14回「光明」

2015年05月18日(月) 18:01

【前回までのあらすじ】
容貌魁偉の調教師・徳田伊次郎、32歳。亡き父の跡を継ぎ、南関東で6馬房の厩舎を構えている。厩舎は三流で、従業員は無気力。伊次郎の厩舎改革で、少しずつスタッフがやる気になってきたが、管理馬が勝てず、またダレ気味に。そんなあるとき、競馬史研究家が訪ねてきて、伊次郎の曾祖父・徳田伊三郎について話しはじめた。


 似ているのは顔だけ――という鹿島田の言葉はつまり、徳田伊三郎の一流ホースマンとしての技量も、58歳まで騎手をつづけた胆力も、何ひとつ伊次郎には受け継がれていない、という意味だ。

 他人の無責任な批判や中傷などなんとも思わない伊次郎も、このときだけは、自分でも不思議に思うほど腹が立った。

 自分は曾祖父の伊三郎のことをそれほど詳しく知っているわけではない。鹿島田に言われるまで記憶の片隅に封じ込められていたぐらいだから、格別意識していたわけでもなければ、敬意を払っていたわけでもない。にもかかわらず、似ていない、劣っていると言われただけで、こんなに嫌な気持ちになるのはなぜだろう。

 不意に鹿島田が立ち上がり、大仲の出入口から馬房を覗き込んだ。

「なるほど、敷料はホワイトウッドでできたペレットを使っているんですね。カナダ製かな。そして、厩栓棒を使わず、弾力性のある横長の幕ですか。あれはアメリカで使われているものだ」

 その鹿島田の口調に嫌味なものを感じ、伊次郎が言った。

「競馬史の専門家が、今の世界の競馬事情もご存知とはね」
「歴史を学ぶとはそういうことです。掘り下げていくと、どんどん穴がひろがり、自然と周囲を見回すことになる」
「お宅と抽象論を交わす気はない。用が済んだのなら、お引き取り願えるかな」

 鹿島田はそれには答えず、大仲のホワイトボードに記された調教内容とレーススケジュールを眺めはじめた。首から下がった何本ものペンやメガネ、ルーペなどがガシャガシャと耳障りな音を立てている。

「ふむ、いかにも優等生的な厩舎再建策ですな」と鹿島田。
「どういう意味だ」・・・

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊ギャロップ、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。趣味は読書と読売巨人軍の応援。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。最新刊はテレビドラマ原作小説『絆〜走れ奇跡の子馬』。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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