日本産馬の優勝という結末を迎えてほしいジョッケクラブ賞(仏ダービー)展望

2015年05月20日(水) 12:00


今年の仏ダービーを巡る大きな焦点の1つとなっていたのが、英国調教馬ゴールデンホーンの動向

 5月31日にシャンティーで行われる、フランス版ダービーのG1ジョッケクラブ賞(芝2100m)の開催まで、あと10日余りとなった。

 今年の仏ダービーを巡る大きな焦点の1つとなっていたのが、英国調教馬ゴールデンホーン(牡3、父ケイプクロス)の動向だった。

 G1コロネーションS勝ち馬レベッカシャープの甥にあたるゴールデンホーンは、生産者アンソニー・オッペンハイマー氏の所有馬としてジョン・ゴスデン厩舎からデビュー。昨年10月にノッティンガムのメイドン(芝8F75y)で緒戦勝ちを飾ると、シーズンオフをはさんで4月15日にニューマーケットで行われたLRフィールデンS(芝9F)を連勝。更に5月14日にヨークで行われたG2ダンテS(芝10F88y)も制し、3連勝で重賞初制覇を果たしたエリートである。

 ゴールデンホーンについて、オッペンハイマー氏にはかねてから「血統的にどうみても10Fの馬」との判断があり、英国ダービーには登録をせず、一方で仏ダービーには登録を行い、今季初戦のフィールデンS後も「ターゲットは仏ダービー」と明言していたのであった。

 ところが、仏ダービーへの最終プレップという意識で出走したダンテSで、前半後方から馬場大外に持ち出しての豪快な差し切り勝ち。このレースの発走段階でダービー前売り1番人気の座にあったジャックホブス(牡3)を筆頭に、エルムパーク(牡3)、ジョンエフケネディ(牡3)、オルマンリヴァー(牡3)といったダービー候補を一網打尽にする競馬を見せ、ブックメーカー各社は同馬が未登録にも関わらず、英ダービーへ向けた前売りで本命の座に祭り上げたことで、陣営の気持ちが揺れた。

 当初は、追加登録締め切り日の間際まで、他馬の動向を見つつじっくりと吟味すると語っていたが、先週末には早くも「7万5千ポンドの追加登録料を払って英ダービーに出走する」と表明。ゴールデンホーンが出なくなったことで、仏ダービーの勢力分布もほぼ固まったのである。

勢力分布もほぼ固まった仏ダービーの1番人気はカラクタール

 ブックメーカーのレースベッツ社が、5月19日現在でオッズ3.5倍と、1頭抜けたオッズを掲げて1番人気に推すのが、アガ・カーン殿下のオーナーブリーディングホースのカラクタール(牡3、父ハイチャパラル)だ。

 A・ド・ロワイヤルデュプレ厩舎からデビューし、2歳時の戦績3戦1勝。デビュー2戦目のメゾンラフィットのメイドン(芝1600m)で初勝利を挙げた後、サンクルーのG3トーマスブリヨン賞(芝1600m)が3着だった。つまりは、期待馬の1頭ではあったものの、クラシック候補として確たる地位を得ていたわけではなかったのが、2歳シーズンのカラクタールだった。だが、冬の間に馬が変わったようで、今季初戦となったサンクルーのLRフランソワマテ賞(芝2100m)を7馬身差で快勝。そして4月20日にロンシャンで行われたG3ノアイユ賞(芝2100m)も、他馬に3.1/2馬身差をつけて重賞初制覇を飾り、同時に仏ダービーへの有力候補の浮上したのだった。

 レースベッツ社オッズ6倍で横並びの2番人気にしているのが、メイクビリーヴ(牡3、父マクフィ)とニューベイ(牡3、父ドゥバウィ)という、仏2000ギニー組である。

 北米におけるG1・2勝馬で、現在は社台ファームで繁殖生活を送っているドゥバウィハイツの3/4弟にあたるメイクビリーヴは、12年のタタソールズ・ディセンバーセール当歳セッションに上場され、18万ギニー(当時のレートで約2486万円)で購買されている。

 仏国の伯楽A・ファーブル厩舎の一員となり、2歳10月にドーヴィルのメイドン(芝1500m)でデビュー勝ち。続いて出走したサンクルーの条件戦(芝1500m)も白星で通過し、2戦2勝で2歳シーズンを終えている。

 3歳緒戦となったのが、4月2日にメゾンラフィットで行われたG3ジェベル賞(芝1400m)で、ライドライクザウィンド(牡3)のゴール前強襲にあって2着に敗れ初黒星を喫したものの5月10日のG1仏2000ギニー(芝1600m)ではデビュー戦以来となる逃げ戦法に出て、まんまとマイペースに持ち込み後続に3馬身差をつけてのクラシック制覇となった。

 ただしこの馬、ここへ来て仏ダービーは回避の可能性が高まっている。ギニー馬としては、ロイヤルアスコット初日のG1セントジェームスパレスS(芝8F)に向かうのが常道なのだが、メイクビリーヴは現段階でそこが未登録なのである。母の父がスワーヴダンサーゆえ、距離大丈夫と見て仏ダービーに向かうか、3万5千ポンドの追加登録料を払ってG1セントジェームスパレスSに出るか、陣営は思案していたのだが、どうやら、追加登録料を払う決断を下した模様だ。

 カリッド・アブドゥーラ殿下のジャドモントによる自家生産馬ニューベイは、LRダンジェルヴィル賞(芝1600m)勝ち馬シナモンベイの3番仔で、G1愛オークス(芝12F)勝ち馬ウィミスバイトらが出ている牝系の出身。管理するのはメイクビリーヴと同じA・ファーブルである。

 2歳11月にシャンティーのメイドン(AW1600m)でデビュー。ここで2着となってシーズンオフに入り、今季緒戦となったのが4月20日にロンシャンで行われた条件戦(芝1600m)だった。ここは1勝馬も出走できるレースで、後述する1勝馬テイルオヴライフ(牡3)が圧倒的人気になっていたのだが、そのテイルオヴライフが直線で進路が狭くなる不利があった上に、未勝利の本馬は負担重量が4キロ軽いという条件にも恵まれ、ここで初勝利をマーク。続いて挑んだのが5月10日のG1仏2000ギニーで、前述したようにメイクビリーヴが遅い流れを作った中、道中最後方から直線大外を追い込み、メイクビリーヴには離されたものの2着に入っている。

 秋の凱旋門賞にも登録があるように、陣営はこの馬を一介のマイラーとは見ておらず、ここを今後のさらなる飛躍への足掛かりとすることを目論んでいる。

 続いて、オッズ7倍の4番人気に推されているのが、サムバル(牡3、父デインヒルダンサー)だ。G1サンタラリ賞(芝2000m)3着馬アリックスロードの3番仔で、1歳8月にアルカナのドーヴィル8月イヤリングセールに上場され、カタール・レーシングの代理人に25万ユーロ(当時のレートで約3249万円)で購買されている。

 若手調教師の旗頭と言われるF・A・グラファード厩舎に入った同馬は、デビューが今年の3月までずれ込んだか、初戦となったサンクルーのメイドン(芝2000m)でデビュー勝ち。続くコンピエーニュの条件戦(芝2000m)も5馬身差で制すると、5月5日にサンクルーで行われたG2グレフュール賞(芝2000m)に駒を進め、ここも6馬身差で制して無敗の3連勝で重賞初制覇を果たしている。

 ここまでの3戦はいずれも道悪で、父が道悪巧者のデインヒルダンサーであることを鑑みると、速い時計の決着になった場合の懸念はあるが、パワーとスタミナの勝負になれば、無敗のダービー馬誕生が現実味を帯びることになりそうだ。

5番人気に推されているディープインパクト産駒のテイルオヴライフ

 そして、オッズ7.5倍の5番人気が、ニューベイの項目で名前の出たテイルオヴライフ(牡3)である。この馬については、昨年11月19日付けのこのコラムでご紹介しているので、ご記憶の方も多いと思う。詳細は前回のコラムをご参照いただくとして、端的に言えば本馬は、日本生まれのディープインパクト産駒である。

 昨年11月にサンクルーのメイドン(芝1600m)でデビューし、ここを7馬身差で制して緒戦勝ちを飾ると、そのレース内容の良さにより一部の関係者やファンから、今季のクラシック候補と騒がれることになった。

 今季初戦となったのが、4月20日にロンシャンで行われた条件戦(芝1600m)で、前述したように直線で進路が狭くなる不利があって2着となったものの、敗れて強しの印象を残したこともあって、5月10日のG1仏2000ギニーでは、ここが重賞初挑戦だったにも関わらず3番人気に支持されることになった。

 ところが、中団後ろ目につけたテイルオヴライフは、直線で全く伸びず13着に敗退。Bon Souple というやや渋り気味だった馬場に、父譲りの切れ味が削がれたようにも見えるが、実はこの馬が快勝したデビュー戦はLourdという極悪馬場で、路面に殺されたわけではなかった。スローな流れになったことも災いしたが、しかしこの馬よりもっと後ろから行ったニューベイが2着まで追い込んでいるから、展開も言い訳にはならず、不可解と言えば不可解、ありていに言えば力不足とのレッテルを貼られても致し方のない敗戦だった。

 だが、ファンはこの馬をまだ見限ってはいないようで、仏ダービーの前売りでも依然として上位に支持してくれているのは、日本の競馬ファンにとっては心強い限りだ。

 現段階で出否は未定で、ここで一旦仕切り直しの可能性もあるが、日本の競馬ファンとしては、日本産馬によるダービー制覇という結末を迎えてほしい、ジョッケクラブ賞である。

バックナンバーを見る

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

関連情報

新着コラム

コラムを探す