武豊騎手重賞300勝、そして

2015年10月10日(土) 12:00


 先週土曜日のシリウスステークスでアウォーディーに騎乗した武豊騎手が、前人未到のJRA重賞300勝を達成した。

 昔から「馬7人3」と言われているように、「競馬」というのは読んで字のごとく「馬が競うもの」で、あくまでも主役は「走る馬」なのだが、武騎手は、その卓越した手綱さばきで、人間の技を通じて衆目を馬の走りに向けさせる役割を果たしてきた。

 1987年に騎手になった彼にとって、今年はキャリア29年目。年間10勝プラスアルファのペースで重賞を勝ってきたのだから、すごいとしか言いようがない。

 私が彼と話すようになったのは、騎手デビュー4年目の90年春のことだった。旧6歳になったスーパークリークで大阪杯を勝ち、JRA重賞22勝目を挙げたころだ。その時点ですでに「武豊」といえば知らない人のいないスーパースターだった。どこにいても周囲に人の輪ができるカリスマがあり、やわらかな笑みを浮かべているのに、ちょっと近寄りがたい――という、彼だけの独特の雰囲気も持ち合わせていた。

 あれから彼は280近い重賞を勝った、いや、あのころの15倍近く重賞を勝った――と言うほうが、「とてつもない感」が伝わるか。しかし、それでもJRAだけの話で、地方や海外を入れたら、もっととんでもない数字になるわけだ。

 この秋、スポーツ誌「ナンバー」で久しぶりに競馬特集を組むことになった。ジャパンカップが今年35回目で、同誌も創刊35年ということによる特別企画だ。もちろん武騎手も登場するのだが、私が同誌のライターとして初めて武騎手に取材したのも、彼に出会った90年のことだった。当時、一緒にページをつくった編集者のひとりは私と同い年で、出身大学も学科まで同じだったこともあり、親しくしていた。なぜそんなことを書くかというと、今週木曜日に流れたネットのニュースで、その人の名を見たからだ。『「春画」掲載巡り、週刊文春編集長を3か月休養』(読売オンライン)という見出しから、いいニュースではないことはわかると思う。同誌10月8日号に掲載された春画のグラビア記事に問題があったのだという。

 他人の家のことに関してあまりあれこれ言うべきではないのでこのくらいにしておくが、大切な友人でもある彼がまた辣腕をふるうことができるよう、今回はゆっくり心身を休めてもらいたい。

 武騎手は、重賞300勝を挙げたときの騎乗馬アウォーディーと同じ前田幸治氏が所有するベルカントでスプリンターズステークスに臨んだが13着に敗れ、重賞301勝目はならなかった。が、今週、エイシンヒカリで臨む毎日王冠、ラキシスに騎乗する京都大賞典のどちらかで301勝目、いや、両方とも勝って301、302勝目をマークする可能性も充分ある。

 どちらも天皇賞・秋の前哨戦である毎日王冠と京都大賞典が、去年や今年のように別の日に行われると(12年もそうだった)、本番での騎乗馬を複数のお手馬から選べるトップジョッキーの動向をチェックして楽しむこともできるわけだ。

 エイシンヒカリとラキシスは、タイプがまったく異なるだけに、武騎手がそれぞれにどんな走りをさせるのか、見モノである。

 毎日王冠というと、88年と89年に連覇した「白い怪物」オグリキャップが思い出される。そのオグリキャップなどのオーナーとして知られる小栗孝一氏(おぐり・こういち=元岐阜県馬主会長)が、8日、木曜日に亡くなった。83歳だった。

 私たちファンも武騎手も、オグリキャップのことを「オグリ」と呼んでいたのだが、オグリがデビューした笠松には、小栗氏が所有し「オグリ」の冠号がつく馬がたくさんいたため、笠松時代オグリに乗っていた安藤勝己元騎手や兄の安藤光彰元騎手は「キャップ」と呼んでいた。

 かつて一時代を築いたホースマンや馬が現役を退いたり、亡くなる報せに接するたびに、寂しさや悲しさを感じてしまうのだが、そうした感情は、次の時代の始まりを告げるものでもある。

「オグリが走る時代」は90年に終わり、その後は「オグリの伝説を語る時代」となり、そして、小栗氏の訃報が、「オグリの偉大さを思い出すべき時代」になったことを教えてくれたような気がする。

 さあ、どこかで、誰かと、オグリの話をしよう。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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